科学史の肖像

André-Marie Ampère

アンドレ=マリー・アンペール
André-Marie Ampère

1775年1月22日生-1836年6月10日没

電磁気の研究で有名なフランスの研究者。 電流と電流のあいだにはたらく力の法則を発見して「電気力学」を創始。 電流の単位「アンペア」はこの人物にちなむ。

南仏リヨンの生まれで、後にパリに移った。 教師や視学官といった教育関係の仕事をしていた一方、学士院の会員として研究を行った。 ただ、最初の妻を結婚後すぐに病気で失うなど、家庭面では概して恵まれなかった。

幼い頃に『百科全書』などで独学したアンペールの興味関心は、一箇所にとどまることを知らなかった。 電気の研究をする前は、数学や化学の研究に取り組んでいた。 哲学にも早くから関心を寄せ、晩年には科学を対象とした哲学的著作を残した。

生涯

アンペールが生まれるとすぐ、一家は南仏の都市リヨンから、近郊の村ポレミューに移った。 父親のルソー流教育方針により、アンペールは学校に行かず、興味の向くことを自由に学んだ。 自宅で読んだ『百科全書』やビュフォンの『自然史』などが、彼の人生に特に影響を与えることになった。

1793年11月23日、18歳のアンペールは人生最初の悲劇に襲われる。 フランス革命の影響が南仏まで及んできた結果、父親が反革命の疑いをかけられ、処刑されてしまったのである。 ショックを受けたアンペールは1年ほど、完全に引きこもっていた。

やがて生気を取り戻したアンペールは、リヨンで数学教師として働き始めた。 さらに、青年は街の商人の娘ジュリー・カロンのことが熱烈に好きになり、数年にわたる求婚の結果、ついに1799年、二人は結婚することになった(アンペール24歳)。 その翌年には男の子も生まれた。 しかしそれ以降、ジュリーは体調を崩してしまう。 1803年、アンペールがリヨン北方のブールカンブレスに教師として単身赴任しているあいだに、彼女は亡くなった。

絶望したアンペールは、リヨンを去ってパリに移った。 ブールカンブレスで書いた最初の数学論文が評価され、パリのエコール・ポリテクニク(理工科学校)の「復習教師」に任命されたのだった。 とはいえ、特に親しい人のいるわけでもない大都会で、アンペールは孤独を感じていた。 1806年、31歳のアンペールはジャンヌ・ポトとという女性と再婚する。 これが更なる不幸だった。 アンペールは義父に財産をだまし取られ、新しい妻ともまるで気質が合わなかった。 娘が一人生まれたあと、アンペールは離婚を決めた。 故郷ポレミューから母親たちに来てもらい、子どもたちと一緒に同居を始めた(母親はこの数年後に亡くなっている)。 1808年には、視学官という教育行政に関わる仕事に就いた。

この時期、アンペールは主に数学の論文を書いていた。 そしてこの方面での研究が評価されて、1814年、アンペールは学士院の数学部門会員に選ばれた(39歳)。 この時にアンペールと競合して落選したのが後の高名な数学者、コーシーだったというのは皮肉な話である。 というのも、アンペールがその後、数学者として偉大な仕事をすることはなかったからだ。 学士院会員になってからのアンペールはむしろ、化学の研究に力を入れた。 すでにこの方面でも十分な知識を得ていたアンペールは、確かに独創的な研究を発表したのだが、歴史上に名前を残すだけの成果だったとはおそらく言い難い。

彼の名前を不朽にしたのは、1820年、45歳にして始めた電磁気の研究である。 この年にデンマークのエールステズが発見した、電流の磁気作用(電流の流れている導線の下に磁針を置くと針が触れる)という現象は、同年9月初めにはパリの学士院にも伝えられた。 アンペールはこれを知ると直ちに研究を開始し、その月のうちに一連の成果を報告している。 中でも、電流間にはたらく力の法則は特に重要な発見だったと言える。 彼は引き続き、数年にわたって電流に関する研究を続けた。 その成果は最終的に、『実験から一意的に推論された、電気力学的現象の数学的理論に関する論考』(1827年)としてまとめられた。

この間、アンペールはパリ大学で哲学の講義をしたり、同大学の天文学助教授になったり、コレージュ・ド・フランスの実験物理学教授に就いたりと、多彩な活動をしていた。 しかしそうしているあいだも、アンペールの心が休まることはなかった。 彼の息子は、絶世の美女として知られた某夫人の取り巻きになり、20年近くも家を出たままなかなか帰ってこなかった。 娘のほうは、嫁いだ相手が実はひどい大酒飲みだと分かり、アンペールにとって大変な心配の種となった。 家庭生活では最後まで、恵まれない人生だった。

概して、アンペールという人は、どこか一箇所に興味関心をとどめておくことのできないタイプの人間だった。 電気の研究をまとめてからは、彼の努力は哲学に向けられた。 哲学もやはり、アンペールの若い頃からの興味の対象で、特にカントの思想から大きな影響を受けていたという。 晩年に出版した著作『科学哲学試論』(1834年)が、彼のほぼ最後の仕事となった。 この中でアンペールは、さまざまな科学の分類について論じている。 彼の名前を有名にした電気の研究は、たぶん、アンペールという百科事典の中の一項目にすぎなかった。

参考資料

日本語で読めるアンペールの詳しい伝記はない。 彼の生涯や研究を紹介したものとしては、次の記事が特に参考になる。

アンペールの著作の日本語訳は、筆者の知る限り、次の抜粋があるだけである。

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