科学史の肖像

James Prescott Joule

ジェームズ・ジュール
James Prescott Joule

1818年12月24日生-1889年10月11日没

熱の仕事当量の測定実験で知られる実験家。 この業績によりエネルギー保存則の発見者の一人とされ、 エネルギーの単位「ジュール」にその名を残している。

地元であるイギリスのマンチェスターを中心に活動し、 家業だった醸造会社の経営から主に収入を得ていた。 科学研究は自宅や工場に作った実験室で行われた。

熱と仕事の関係(仕事当量)のほか、電流から発生する熱に関する「ジュールの法則」や、 「ジュール−トムソン効果」の発見でも知られる。 精確な測定を伴う緻密な実験研究は生前から高く評価されていた。

生涯

イングランド北西部、マンチェスターのサルフォードで、醸造業者の次男として生まれる。 祖父がおこしたこの事業は大きな成功を収めており、その工場はジュールの少年時代には街で最も大きなものだったという。 またジュール自身、この家業の経営にはかなり深く関わっていくことになる。 そうした経済的基盤のもと、ジュールは自宅や工場に設けた実験室で研究を行った。

ジュールは学校には行っておらず、兄とともにまず自宅で家庭教師から初等教育を受けた。 二人は次いで、当時マンチェスターでドルトン(今日では原子論で有名)が行っていた個人授業に出席している。 実際に教わったのは二年ほどだが、ジュールはドルトンを通じて数学その他を学び、その考え方から影響を受けたとされている。

家庭教育が終わるとすぐ、19歳のジュールは自分でさまざまな実験を始めた(大学には行っていないので、これ以降はすべて独学ということになる)。 最初に取り組んだのは電磁石を使った電気モーターの改良で、その成果を繰り返し『電気年報』誌に送った。 ジュールは当初、電気の理論的な考察によって電気モーターの効率を上げれば蒸気機関を上回れるのではないかと思っていたが、残念ながらこれはうまくいかなかった。 そこで研究対象を電流による熱の発生に切り替えることになるが、結果的にはこれが幸いすることになる。

電気モーターの研究で知られるようになった結果、1842年(23歳のとき)にジュールは地元マンチェスターの文学・哲学アカデミー会員に選ばれる(この当時、自然科学はまだ自然哲学と呼ばれていた)。 さらに同じ年にはイギリス科学振興協会(BAAS)の年次大会がマンチェスターで開催され、ジュールはここで初めて、イギリス全土の研究者を相手に発表を行う機会を得た。 そして翌1843年、同じBAASの大会で、ジュールは熱の仕事当量(本人の言葉では「熱の力学的値」)について最初の報告を行うことになる。

ジュールは熱の仕事当量の正確な値を決定すべく実験と発表を繰り返すが、学界からはなかなか認められなかった。 しかし1847年6月、オックスフォードでの大会で、たまたまジュールの発表を聞いた新進気鋭の若手教授トムソンがその意義を認め、これ以降、ジュールの評価は高まっていくことになる。 ちなみにこのとき、ジュールは29歳、トムソンは23歳で、二人は個人的にも親しい友人となる。 また、同じ年の8月、ジュールはリヴァプールの会計検査官の娘、アメリア・グライムズ(当時33歳)と結婚。 夫妻にはやがて二人の子供が生まれた。

翌1848年、ドイツの医師マイヤーが、熱の仕事当量についての先取権を主張した (これは後に、誰が最初にエネルギー保存則を発見したのかという論争につながっていくことになる)。 当面のところ、ジュールはトムソンとともに、マイヤーのアイディアは認めるがそれを実験的に確立したのは自分だと主張した。 また、二人はマイヤーの議論で使われている前提を検証しようとして、1850年代に共同で実験研究を行っている。 今日「ジュール−トムソン効果」として知られる現象は、この共同研究の副産物である。

1850年(32歳のとき)にはロイヤル・ソサエティ会員となり、ジュールの科学者としての地位は確かなものとなっていた。 しかしその四年後に最愛の妻を亡くして以降、ジュールが実験研究で独創的な仕事を残すことはなかった。

熱の仕事当量について言えば、1867年(49歳のとき)にイギリス科学振興協会の委員会から要請があり、ジュールはその測定を再度やり直している。 この実験研究は二度にわたり、数年をかけて注意深くなされ、結果的には以前の値の正しさが確証された。 これが科学における実質的な貢献としては最後となったものの、ジュールの実験手腕は衰えていなかったと言うべきなのだろう。 その後も1889年に70歳で亡くなるまで、イギリスを代表する科学者の一人という地位が揺らぐことは終生なかったようである。

業績

ジュールの最大の業績は、何と言っても熱の仕事当量の実験的研究である。 なされた力学的仕事と発生する熱のあいだには一定の量的関係があり、したがって仕事と熱は一定の比で互いに転換するのだということを、ジュールはさまざまな実験を通じて示して見せた。 (なお、ジュールはこの比を「熱の力学的値」と呼んだが、今日では「熱の仕事当量」と呼ばれるのが一般的である。) 正確な測定に裏打ちされた一連の実験はやがてエネルギー保存則の証明と受け取られるようになり、ジュールの名前はエネルギー保存則の発見者として記憶されることになった。今日でも「ジュールの実験」(とりわけ羽根車を水中で回転させるもの)はエネルギー保存則の説明でしばしば引き合いに出されるし、エネルギーの単位「ジュール(J)」が彼の名前に由来するのは言うまでもない。

熱の仕事当量の測定はもともと電気モーターの研究に端を発しているが、その途中で発見されたのが「ジュールの法則」である。 これは、電流から発生する熱量は電流の大きさの二乗に比例するという法則であり、現在の教科書では Q=RI2 などと書かれる(Q: 1秒あたりの熱量、R: 抵抗、I: 電流)。

「ジュール−トムソン効果」は、トムソンとの共同研究で発見された現象である。 気体が真空中で膨張したとき、その温度が少し低下することを言う。 これはもともとトムソンが「マイヤーの仮説」と呼んだものを検証するために行われた実験で、純粋に理論的な関心から行われたものだった。 しかし19世紀末からは、この現象を応用して液体を冷却することが行われるようになり、低温科学と呼ばれる分野で重要な役割を果たすようになった。

ジュールの業績を支えているのは、精確な測定をともなった緻密な実験である。 なるほど、高等教育を受けていないジュールにとって、数学的・理論的研究をするのは難しかったかもしれない。 だがこの時代には、専門的な教育を受けることなく、大学などに属すこともなく、科学に対して重要な貢献をすることが可能だった。 ジュールがそうしたタイプの人物であることは、その業績をおとしめる理由にはならない。

参考資料

日本語で読めるジュールの伝記は見当たらなかったので、次のものを参考にした。

ジュールの論文の翻訳としては次のものがある。

2009/8/25; 2011/6/26; 8/19 「参考資料」を改訂
(c)ARIGA Nobumichi
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