科学史の肖像

Hendrik Antoon Lorentz

ヘンドリック・アントーン・ローレンツ
Hendrik Antoon Lorentz

1853年7月18日生-1928年2月4日没

オランダの理論物理学者で、特に19世紀末から20世紀初頭にかけて活躍した。 運動する荷電粒子に磁場が及ぼす「ローレンツ力」や、相対性理論の「ローレンツ変換」で知られる。

ライデン大学の初代理論物理学教授を務め、後には博物館関係の職に移って研究に打ち込んだ。 英・独・仏語を話し、国際会議で議長を務めることも多かった。 人当たりの良い常識人で、家庭では3人の子どもの父親。

電磁場と荷電粒子の考えに基づく、「電子論」と呼ばれる理論で一世を風靡した。 これを発展させる過程で導入された「ローレンツ変換」は、数学的には、アインシュタインの相対性理論と等価である。

生涯

ローレンツは、オランダのアーネムという街に生まれ、そこで初等・中等教育を受けた。 母親はローレンツが小さい時に亡くなっており、彼が9歳のとき、父親が新しい妻を迎えている。 幼い頃から勉強ができたが、特に外国語を覚えるのは抜群に速かったという。

1870年、17歳のときに、ライデン大学に入学。 ここでは特に、天文学教授カイザーによる理論的内容の講義に興味を持った。 学士号をとったあと、数年間は実家に戻り、夜間学校の教師をしながら、学位論文のための研究を進めた。 この頃、ローレンツが特に尊敬していたのは、19世紀初頭に光学の分野で活躍したフランス人、フレネルだったという。 それもあってか、ローレンツの学位論文は光の反射と屈折についてのものだった。

学位は取ったものの、当時、理論物理学というのはまだ新しい領域で、就職の見込みはあまりなかった(物理学と言えばたいては実験物理学だった)。 ところが偶然、1877年に、ライデン大学に理論物理学の講座が新設され、ローレンツはそのポストに就くことになった。 まだ24歳だったローレンツはいきなり、オランダを代表する物理学教授になった。 とはいえ、着任してから15年ほどのあいだの仕事ぶりはそこまで突出したものではない。 年に1本程度の論文を出版し、物理学や微積分の教科書を書いたというくらいである (ちなみに、これらの教科書は戦前、日本で翻訳されたことがある)。

彼の最大の業績と言える「電子論」は、40歳あたりから本格的に展開された(この「電子」は、物質中に含まれるとされた荷電粒子のことを言う)。 1896年には、以前の助手だったゼーマンが発見した実験現象(ゼーマン効果)を、自分の理論で見事に説明することに成功。 これが評価されて、1902年度のノーベル物理学賞をゼーマンとともに受賞した(49歳)。

私生活では、すでに1881年に、アレッタ・カイザーと結婚していた。 この女性は、学生時代の恩師カイザーの姪に当たる。 ローレンツ夫妻は、2人の娘と1人の息子を育てた(もう一人の男の子は、生まれてすぐに亡くなってしまった)。

1912年には、35年間務めたライデン大学を辞めて、タイラー協会の物理学資料室に移った (このタイラー協会というのは、18世紀以来の伝統を持つ博物館や美術館の集合体とのこと)。 ローレンツはここで一般向けの講演などもしたが、多くの時間は自分の研究のために使うことができた。 また、ライデン大学でも員外教授として、引き続き講義を担当した。 ちなみに、同大学の正教授を継いだのは、オーストリア出身のエーレンフェストである。

すでに20世紀に入った頃には、ローレンツはヨーロッパ屈指の理論物理学者の一人として知られていた。 量子論などの重要問題が議論されたことで有名なソルヴェー会議では、ローレンツは初回から毎回、議長を務めた。 第一次大戦の後、各国の科学者たちのあいだに感情的対立が生じたときには、国境のない科学研究の世界をもう一度作り直そうと奔走した。 ローレンツの「電子論」は相対論や量子論の発展とともに次第に顧みられなくなっていくが、ローレンツという個人はヨーロッパ物理学界の中心であり続けた。

オランダ国内的にも、ローレンツは教育関係の委員など多くの公務に携わった。 彼の晩年の、ほとんど最後の仕事は、洪水対策のためザウダー海を堤防によって外海から切り離すという公共工事に関係している。 このプロジェクトの委員長に就いたローレンツは、堤防建設後の水位予測について自ら精力的に研究を行い、報告書の半分以上を執筆したのだった。

ローレンツが第一級の物理学者だったのは確かだが、常人離れした、突き抜けたところはむしろ少なかったように感じる。 人当たりがよく、どんな新しい考えに対しても開かれた態度を示したというローレンツは、多くの科学者たちから尊敬を集めた。 1928年2月4日に彼が74歳で亡くなった時、アインシュタインは弔辞の中で、故人のことをこう呼んでいる。 「我々の時代の、最も偉大で最も高貴な人」と。

参考資料

ローレンツの主著『電子論』には、ほぼ同時期に独立して出された2種類の翻訳がある。

このうち広重の訳書には、ローレンツの生涯と業績(主に電子論関係)を手際よくまとめた解説がついている。 なお、広重はローレンツについての科学史研究で世界的に知られた物理学史家。

そのほか、ローレンツの論文で翻訳があるものとしては次がある。 いずれも、「物理学古典論文叢書」に収められている。

2013/7/6
(c)ARIGA Nobumichi
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