科学史の肖像

Julius Robert Mayer

ローベルト・マイヤー
Julius Robert Mayer

1814年11月25日生-1878年3月20日没

エネルギー保存則の発見者の一人とされるドイツの医師。 熱の仕事当量の値を理論的に算出したが、 その議論はたいへん思弁的で難解であり、評価の分かれる人物である。

20代半ばから故郷のハイルブロンで開業医をするかたわら、論文を発表した。 しかし30代半ばに不幸が重なって飛び降り自殺を図って以降は、 新しい研究成果を生み出すことがなかった。

業績として知られるのは、エネルギー保存則(本人の言い方では「力」の不滅性)に関するものがほぼ唯一と言ってよい。 しかしその主張の難解さゆえに、彼をどう評価するかをめぐっては、当時から今日に至るまで見解が分かれる。

生涯

ドイツ南部の街ハイルブロンに生まれる。 父親は薬師であり、マイヤーの二人の兄もやがてその職業に就いた。 マイヤー三兄弟は自宅の薬屋で初歩的な化学実験の手ほどきを受けており、家にはさまざまな実験器具や植物・鉱物標本などがあったという。 そうした環境で育った子供時代のマイヤーは、今日なら典型的な科学少年ということになるだろう。

ギムナジウムで教育を受けた後、17歳のときにチュービンゲン大学に入って医学を学び始める。 在学中、学生団体の活動に関わったとして一年間の追放処分を受けるも、1838年(23歳のとき)には無事試験に合格して医師の免許を得た。 翌年には実際にハイルブロンで開業する。

しかし同じ年、マイヤーはオランダ軍の船医となるための試験を受けに行き、これに採用される。 パリへ留学して数ヶ月間勉強した後、1840年2月にマイヤーはオランダ船に乗り込み、東インドへと向かった(25歳)。 ジャワ島周辺にしばらく滞在し、同年末にオランダへと戻る一年足らずの船旅だったが、マイヤーがエネルギー保存則につながる発見をしたのはまさにこの途上でのことだった。

ハイルブロンに戻って医者としての仕事を再開するかたわら、自身の考察を論文にして投稿するが、これに対する返事はなかった。 しかし翌1842年、新しく書きなおした論文が『化学・薬学年報』誌に掲載される(26歳)。 「力」について論じたこの論文には熱の仕事当量の理論的算出が含まれており、これによってマイヤーは後にエネルギー保存則の発見者とされるようになる。

同じ年、ヴィルヘルミーネ・レジーネ・カロリーネ・クロスと結婚(この女性についての詳細は不明)。 七人の子供が生まれたが、うち五人は幼くして亡くなっている。 なお、ヴィルヘルミーネ・クロスはマイヤーよりも長生きした。

1845年(29歳)、『新陳代謝との関係における有機的運動』を出版。 以前の論文で展開した考えをもとに生理学的考察を行い、同時代の著名な化学者リービヒの説を批判した。 続く40年代後半には、太陽熱の源についての考察も発表している。

1848年(33歳)、ドイツで三月革命が起こる。 保守派の立場だったマイヤーは一時的に拘束され、兄とも仲たがいしてしまう。 さらに同じ年、マイヤーはイギリスのジュールが行った研究を知り、熱の仕事当量について自らの先取権を主張するが、これも功を奏さなかった。 先取権の問題は結局うやむやとなり、マイヤーの仕事はなかなか認められなかった。

絶望したマイヤーは1850年、35歳のとき、飛び降り自殺を図った。 一命は取り留めるも、精神を病み、三十代後半はその療養に費やされることになる。 そしてこれ以降、マイヤーが新たな研究成果を生み出すことはなかった。

唯一救いだったのは、1850年代の終わり頃から、マイヤーの評価が好転したことである。 ドイツではエネルギー保存則の発見者と認められるようになり、晩年にはイギリスのロイヤル・ソサエティが、前年のジュールに続いてマイヤーにもコプリー・メダル(科学上の業績に対して贈られる)を授与している(1871年)。 とは言え、こうした遅まきの評価をマイヤー自身がどのように感じていたかは定かでない。

結局のところ、マイヤーは主流派の科学者たちから見れば、最後までアウトサイダーだったのかもしれない。 独自の道を歩き続けたかつての科学少年は、結核のため63歳でこの世を去った。

業績

マイヤーはエネルギー保存則の発見者の一人とされているが、その根拠とされる論文(1842年)は実のところ極めて読みにくい。 この論文でマイヤーが実際に主張したのは、自然現象の原因としての「力」は不滅であり、さまざまに転換するということである。 この「力」を「エネルギー」に読み替えればエネルギー保存則に近い内容になるかもしれないが、これをもって「マイヤーはエネルギー保存則を発見していた」と言うのはおそらく乱暴すぎるだろう。 しかしいずれにせよ、マイヤーが熱の仕事当量に相当するものを理論的に算出しているのは確かである。 その計算は気体が膨張するときに必要な熱量に基づくもので、マイヤーは当時知られていたいくつかの実験データを組み合わせて現在でもほぼ正しい値を得た。 自分では実験を行っていないものの、この計算法そのものはなかなか巧妙である。

これ以外にマイヤーが行った研究は、一般にほとんど知られていない。 生理学の分野では、マイヤーはリービヒが唱えていた「生命力」の理論を批判した。 また宇宙論の関連では、太陽熱の源は太陽系外からやってくる隕石にあるという説を唱えたほか、地球の自転速度は潮の干満による摩擦のために遅くなっているがその効果は地球の収縮によって相殺されているという考えを提出している。 これらは現在から見ると奇妙なものに思えるかもしれないが、同じような議論は当時、他の人々によってもなされていた。

マイヤーの評価が難しい理由は、大きく二つ指摘できるだろう。 一つにはその議論の多くが思弁的で、少なくとも現在から見ればあまり科学的とは思えないということがある。 また、もう一つには、マイヤーの提出したアイディアないしそれに類するものはたいてい他の人物によっても独立に主張されており、そちらが後世に影響を与えているという事情がある。 つまり、マイヤー自身の主張がほとんど注目されず、後世への影響もほとんどなかったのに対し、他の人物による同様のアイディア(たいていの場合、マイヤーよりも後に述べられている)はそれなりに広まり、評価されたのである。

評価されなかった悲劇の天才か、評価されなくて当然の奇人か。 あるいは、そのどちらでもない理解がありうるのだろうか。

参考資料

2009/8/25 (C)N. Ariga
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