研究解説:最小作用の原理

はじめに

僕が最初に取り組んだ研究対象は、力学の原理の一つである「最小作用の原理」というものでした。これを主に研究していた時期は、大学院に入る前の約半年と、修士課程の二年間、さらに博士課程に進学した最初の一年の、計三年半ほどです。ここでは、このテーマに関する僕の研究がたどった紆余曲折とその成果について、ご紹介したいと思います。

最小作用の原理とは

「最小作用の原理」がどういうものかをイメージしてもらうためには、まず電車やバスの路線図(それもたくさんの路線が交差する複雑なもの)を思い浮かべてもらうとよいと思います。いま、あなたはA駅にいて、そこからB駅まで行きたいとします。そしてそのときに考えられる経路というのがいろいろあって、C駅で乗り換えるルートや、別の電車でD駅まで行って乗り換えるルートなど、いくつかの選択肢があるとします。こういう場合にどのルートを選ぶかというと、たいていの人は、一番早く着くルートか一番安く行けるルートを選ぶことでしょう。つまり、「最短時間」ルートか「最安価格」ルートです。

これと同じようなことが、物理学の世界でも起こっています。力学の対象である物体の運動について言うと、ある物体がA点からB点まで運動するとき、必ず「ある量」が最小になるような経路が選ばれているのです。この「ある量」は「作用」という名前で呼ばれており、自然が従っているこの一般原則のことを「最小作用の原理」と呼びます。それはあたかも自然が何か意図を持っているかのようで、僕自身、学部生時代にこれを最初に知った頃は、ものすごく不思議でした。そういうところにも惹かれて、これを研究テーマにしたわけです。

最小作用の原理が力学の歴史に登場してくるのは18世紀のことで、主に三人の人物がそれに関わっています。ピエール=ルイ・モーペルテュイ(1698-1759)、レオンハルト・オイラー(1707-1783)、ジョセフ・ルイ・ラグランジュ(1736-1813)という三人です(それぞれの人物については、『科学史の肖像』に紹介を書いていますのでご覧ください)。僕の一連の研究は、この三人の考えたことがらと三人のあいだの関係とを明らかにすることを通じて、この原理が18世紀のあいだに辿った道すじを考察するというものになっています。

【物理学に詳しい人のための補足】

ここで問題にしている18世紀の最小作用の原理は、今日ふつうにこの名前で呼ばれているものとは少し違います。現代の教科書などでは、ラグランジアンを時間で積分したものを作用積分などと呼び、これが極値をとるという主張(δ∫L dt = 0)を最小作用の原理と呼びますが、18世紀にあって作用積分に相当していたのは「質量と速度と距離の積」(∫mvds)でした。この形の原理は、今から見れば全エネルギーが保存されている場合にのみ成り立つものです。

オイラーの場合

オイラー僕が最初に研究したのは、18世紀最大の数学者、オイラーの場合でした。具体的には、数学書の「付録」として書かれた短いラテン語の論考『非抵抗媒質中での物体の運動について』(1744年)と、フランス語の論文『モーペルテュイ氏の静止と運動の一般原理のあいだの調和』(1753年)を取り上げ、その内容について分析を行いました(実際に読んだ順番としては後者のほうが先になります)。余談ですが、この二つは僕が初めて独力で読んだフランス語とラテン語の原典です。辞書と文法書をめくることを延々と繰り返しては、なんとか意味を理解していくという地道な作業の繰り返しでした。しかし今から振り返ってみれば、科学史、特に学説や理論の歴史を研究するには不可欠な訓練であったと思います。

さて、その成果をまとめたのが、僕の最初の論文『オイラーの変分力学』です。この論文では、オイラーが最小作用の原理によって目指したのは動力学(物体の運動を扱う力学の分野)と静力学(同じく物体の釣りあいを扱う)を統一することだったという見解を示しました。さらに、オイラーはこの原理を論じるにあたって「最小」ということにこだわっているのだけれども、そう述べているオイラーの主張には矛盾があるということも同時に指摘しました。全体としてこの論文は、テクストを読んでそこに現れている考え方を分析するというオーソドックスなタイプのものになっています。

この論文を書いたあと、僕はオイラーのほかの論文や、同時期に書かれた手紙なども読むようになりました(そうした資料は、オイラーの『全集』に収録されています)。そこからわかってきたのは、最小作用の原理に関するオイラーの考え方はずっと同じだったわけではなく変遷を経ているという、当たり前と言えば当たり前の事実です。しかしこうした時間軸に沿っての考察は、『オイラーの変分力学』ではまったく欠けていました。そこで修士論文では、前半で、オイラーにおける最小作用の原理の展開を論じました。なお、後半はその話の続きとしてラグランジュを主人公に据えたのですが、これについては後で戻ってきたいと思います。

モーペルテュイの場合

大学院の博士課程に進学してまず着手したのは、最小作用の原理に関するモーペルテュイの仕事を調べることです。実を言えば、この仕事はかなり消極的な理由で始めました。

モーペルテュイ先に、オイラーにおける最小作用の原理の変遷の話をしましたが、実はその過程で、オイラーとモーペルテュイは何度か手紙を交わしています。しかもその同じ時期に、モーペルテュイはモーペルテュイで、最小作用の原理について自分なりの見解を発表していました。さらに、この二人は、ベルリンのアカデミーという組織における上司と部下という関係でもあります(モーペルテュイが一番上の総裁、オイラーがその下の数学部門長)。要するにこの二人は、時を同じくして、すぐ近くで、同じようなテーマについての考えを発展させていたわけです。そのため、オイラーをちゃんと議論しようと思えば、モーペルテュイにも触れないわけにいきません。だから、モーペルテュイの書いたものにもまあ一応目くらいは通しておこうか、と思ったわけです。

結果的に、この選択は僕のその後の進む道をかなり変えたと思います。ここでモーペルテュイを読んだことで、それまで重視していなかった問題が僕の関心を占めるようになったからです。が、その話はいずれ書くことにして、ここでは直接の成果をご紹介しておきます。論文『モーペルテュイの「作用」、オイラーの「労力」――十八世紀中葉における二つの最小作用の原理』がそれで、僕の二番目の論文です。ただ、今の自分としてはむしろこれが処女論文であるべきだったと思っています。

この論文は、最小作用の原理をめぐるモーペルテュイとオイラーの思考の変遷を比較しつつ追ったもので、時期としてはおおむね1740年から1760年頃までを扱っています。中心的な論点は、実はこの二人は「作用」という言葉を違う意味で理解していて、したがって「最小作用の原理」というのは一つではなく二つあったのだということです。一般には、モーペルテュイとオイラーは同じ原理に対して別の定式化を与えた(かつ、オイラーのほうが優れていた)と見なされているのですが、僕はむしろ、この二人は全然違うことを考えていたということを示そうとしました。そのために論文の構成自体も少しひねってあって、二人のすれ違っているさまを読者が実感できるよう、工夫してみたつもりです。

ラグランジュの場合

ラグランジュモーペルテュイとオイラーのうち、特に後者の仕事を受けて研究を始めたのが、最小作用の原理の歴史における第三の人物、ラグランジュです。この人についてはその後さらに研究をしましたので、詳しいことはいずれまた書くつもりですが、ここでは修士論文『最小作用の原理――18世紀力学史における「変分力学の伝統」をめぐって』の後半で扱った内容を簡単に紹介します。なお、前半の内容は、上で経緯を書いたように、モーペルテュイとセットにして論文にしました。

その後半部では、主に1750年代後半を対象に、最小作用の原理に対するラグランジュの取り組みを追ってみました。といっても、ラグランジュがこのテーマについて論文を出版するのは1760年代に入ってからで、それ以前については手紙しか情報源がありません。そこで、ともかくオイラーを始めとするラグランジュの文通内容を調べた結果、この時期のラグランジュが最小作用の原理について、オイラーの考え方をかなり引き継いでいることがわかりました。とりわけ、最小作用の原理によって静力学と動力学を両方とも扱うということをラグランジュが言っていて、それを主題にした本を出す計画さえあったことから、僕はラグランジュがオイラーの研究プログラムを受け継いだと考えたのです。この内容は『オイラーとラグランジュ――最小作用の原理から『解析力学』へ』という短い報告にまとめたのですが、なにぶん史料に乏しいため、論文という形できっちり立証することは難しいように今では感じています。

この段階で何年も放ってあったのですが、たまたま、物理学の研究集会でラグランジュの最小作用の原理(変分力学)について話してほしいという依頼をいただきました。オイラーとラグランジュの関係について考え直してみるよい機会だったので、両者の連続性ではなく違いのほうを強調するという路線を採用してみました。そこで再度まとめてみたのが『黎明期の変分力学――モーペルテュイ、オイラー、ラグランジュと最小作用の原理』という論考です。講演がベースなので正式な論文の体裁を採っていないのですが、最小作用の原理を扱った僕の一連の研究が行き着いた、(現時点での)終着点ということになります。

この中では、モーペルテュイ、オイラー、ラグランジュの三人は最小作用の原理によって何をしようとしたのか、という視点を前面に出してみました。そこから眺めてみると、実は三人のやっていることや問題意識は相当違っていたことがわかります。簡単にまとめるなら、モーペルテュイは物体と物体の衝突に、オイラーは力学の問題に登場するさまざまな曲線に、ラグランジュは力学の一般的な方程式に、それぞれ関心を寄せていました。となると、18世紀における最小作用の原理の展開を一直線の発展と見なすことは難しくなり、むしろそれは何度か屈折しているのだ、と見るほうが適切だと思えてきます。さらに、今日の力学の立場が基本的にはラグランジュの延長線上にあることを考えると、ラグランジュのところでこの原理の歴史は大きく転換したのだと言ってもおそらく過言ではないでしょう。

おわりに

最小作用の原理、というのは、物理学を知らない、または興味のない人にとってみれば、魅力的な研究対象ではないかもしれません。ただ、僕が18世紀におけるこの原理の歴史を研究しているとき、関心を向けているのは力学理論そのものではなくて、そこに関わった人々のほうであるということはぜひ強調しておきたいと思います。

結局のところ、理論の発展が直線的なものでなく屈折を繰り返すものであるとすれば、その屈折点には必ず人間がいます。そしてその際には、ラグランジュの場合のように、それまでの問題関心や手法を大きく転回させることが起こったりもすれば、モーペルテュイとオイラーがそうであったように、同じことを言っているようで実は全然話が噛み合っていないといった悲喜劇が繰り広げられたりもするわけです。僕が最小作用の原理の展開を研究していて一番面白いと思ったのは、まさにそういう人と人の関係性、あるいは思考と思考が交差するその様子でした。それを遺された史料から探っていくことが、科学史研究の一つの醍醐味なのかもしれません。

文献一覧

この記事でご紹介した、僕の論文(およびそれに準ずるもの)の一覧です。ここでは書いた順番に並べてあります。

なお、実際に読んでみたいという奇特な方には、4.か5.をお勧めします。 このうち5.は物理に慣れ親しんでいる人を念頭において書いてありますので、数式もかなり多く出てきます。 数式はちょっと…、という方は、4.を、数式部分を飛ばしつつ読んでみてもらえれば幸いです。

  1. [論文]「オイラーの変分力学」
    『科学史研究』第240号(2006年12月), 220-228頁.【査読あり】
    Abstract (on CiNii)
  2. [修士論文]「最小作用の原理:18世紀力学史における「変分力学の伝統」を巡って」
    修士論文・京都大学大学院文学研究科提出(2007年1月).
  3. [シンポジウム報告]「オイラーとラグランジュ:最小作用の原理から『解析力学』へ」
    『科学史研究』第46巻第243号(2007年9月),185-187頁.
    ※シンポジウム「古典力学の展開」の報告をまとめたもの(実質的に修士論文の要約)
  4. [論文]「モーペルテュイの「作用」,オイラーの「労力」:十八世紀中葉における二つの最小作用の原理」
    『科学史研究』第48巻第250号(2009年6月), 77-86頁.【査読あり】
    Abstract (on CiNii)
  5. [論文]「黎明期の変分力学:モーペルテュイ,オイラー,ラグランジュと最小作用の原理」
    『オイラー方程式の数理:力学と変分原理250年』数理解析研究所講究録 1749(京都大学数理解析研究所,2011年7月),16-29頁.【査読なし】
    → 版下原稿はこちらで公開されています
2011/6/1
科学史への小窓 著者について 研究紹介