研究解説:活力論争

はじめに

博士課程に上がってから取り組んできたのが、18世紀にあった活力論争と呼ばれる一連の出来事です。この記事を書いている時点で、僕はほぼ5年間ずっと、このテーマについて考えてきたことになります。

活力論争とは

活力論争とは何かをひとことで言うと、「力の尺度」をめぐる論争ということになります。とはいえ、これだけでは何のことかまったくわからないと思うので、少し詳しく説明します。

ライプニッツことの発端は、有名な数学者・哲学者のライプニッツ(右)が1686年に発表した論文でした。この中でライプニッツは、デカルトを始めとする人々が持っていた「力」についての考え方を批判します。デカルトたちは「力」が質量と速度の積(mv)に比例すると思っているが、それは間違いである、正しくは質量と速度の2乗との積(mv2)に比例するのだ、とライプニッツは主張しました。つまり、速度が2倍、3倍、……となったとき、デカルトは「力」も2倍、3倍、……だと言っていたけれども、正しくは22=4倍、32=9倍、……だというわけです。

この、「速度」なのか「速度の2乗」なのか、という問題をめぐる一連の議論が、活力論争と呼ばれるものです。ライプニッツの最初の論文のあと、特に18世紀初頭に、この問題について多くの態度表明がなされました。当時の学者たちの多くが、自分の本や雑誌に投稿した論文を通じてそれぞれの見解を述べ、ほかの人の見解を支持したり、それに反対したりしました。この議論は少なくとも1740年代までは断続的に続いていましたし、18世紀の終わり頃になってもなお、関連する論文が書かれたりしています。

現代の物理学では、質量と速度の積は「運動量」、質量と速度の2乗との積を2で割ったものは「運動エネルギー」と呼ばれます。そして「力」は、質量と加速度の積(ma)に等しくなります(運動方程式)。そうすると、この論争の原因は結局、「力」「運動量」「運動エネルギー」が区別されず、ごちゃ混ぜに考えられていたことにあるように思えます。実際このような見解が、従来の研究では言われていました。

けれども僕は、論争を「無意味」として切り捨てることには違和感がありました。当時の人々、仮にも「学者」と呼ばれた人々がこれだけ議論に関わっていたからには、それには意味があったはずではないのか? 僕の根本的な動機は、彼らの言っていることを出来る限りちゃんと理解したい、ということにありました。

先行研究から見えてきたもの

そこで最初に取り組んだのは、活力論争についての歴史研究を出来るだけ網羅的に調べることです。意外なことに、科学史、特に力学の歴史ではそれなりに知られた話題であるにもかかわらず、この論争の全体像をまとめた研究というのはほぼ存在しません。論争のさまざまな局面を扱った多くの論文が散発的に書かれたにとどまっています。そこで、先行研究をまとめた『活力論争とは何だったのか』を、“サーベイ論文”として執筆しました。

『活力論争とは何だったのか』は二つの部に分かれていて、前半は主要な先行研究の紹介、後半は活力論争の展開についてのまとめになっています。後半の記述はあくまで先行研究に基づいているため、実際には一次史料(当時の本や論文)を検討してみる必要がありますが、論争全体の流れを知るには大いに役立つはずです。現に、この論文はたぶん、僕が今まで書いた中で一番参照されている文献だと思います。独自の議論を行う論文も当然大事なのですが、ある程度大きなテーマについて先行研究をまとめたものを書く、というのも重要な作業だということを実感しました。

さて、先行研究を調べる中で、見えてきたことがいくつかありました。一つは、この論争がライプニッツの最初の論文以降、ずっと活発になされていたわけではない、ということです。むしろ、いったん下火になったあと、1720年代という時期に再燃してくるという印象を強く受けました。もう一つは、一部の科学史研究者の行った仕事の結果として、活力論争の終わりがはっきりしなくなっているという事実です。こうした発見から、僕の独自の研究が生まれてきました。

1720年代:論争の再燃

1720年代という時期に活力論争が再燃することになった直接のきっかけは、次の二つの論文にあったと考えられます。一つはオランダの実験科学者ス・グラーフェサンデによるもの(1722年)、もう一つはスイスの数学者ヨハン・ベルヌーイによるもの(1727年)で、両方ともライプニッツの「力」の尺度に賛成していました。どちらの論文も先行研究ですでに取り上げられていますが、僕はまずこの二篇を読むことから始め、そのあと、関連するほかの史料に進んでいきました。すでに研究されている素材であっても、重要と感じられればとりあえず読んでみる、そしてその中から新しい論点を見つける、というのが僕の研究の進め方です。

ス・グラーフェサンデは『ニュートン哲学入門』(1720-21)という教科書を書いた有名な学者で、いま風に言うと実験物理学者という感じの人物です(当時は「実験哲学」という言葉がよく使われました)。18世紀の力学の歴史に出てくるのはほとんどが数学者なのですが、この人物は例外的と言えます。さて、ス・グラーフェサンデは1722年の論文で、「力」に関するライプニッツの見解が正しいということを、理論と実験の両面から支持しました。彼の行った有名な実験については、『科学史から何を学ぶか:ス・グラーフェサンデの実験を例に』という一般向け記事の中で簡単に紹介していますので、興味ある方はご覧いただければと思います。

ヨハン・ベルヌーイもう一人の重要人物、ヨハン・ベルヌーイ(右)の論文は、パリの科学アカデミーが公募した懸賞課題への応募作でした。その懸賞が物体の衝突をテーマにしていたため、僕は衝突の理論というテーマに着目し、この時期(主に1720年代)に提出されたさまざまな理論を検討してみることにしました。この成果をまとめたのが『合理力学の一例としての衝突理論 1720-1730年』という論文で、ベルヌーイや上で紹介したス・グラーフェサンデのほか、マクローリン、マズィエール、オイラーという計五人の理論を取り上げました。衝突の理論というのは18世紀の力学史研究でこれまでほとんど無視されてきたのですが、実際には盛んに論じられていたテーマであり、注目に値する展開が見られるということをこの論文で示しました。

1740年代:活力論争の解消

ここまでの研究で、活力論争とそこで問題になっていた「力」について、かなり明確なイメージが持てるようになりました。詳しいことを省いて要点だけ書いておくと、少なくとも1720年代には、“運動している物体は何かしらの「力」を持っている”という考え方がごく自然に共有されていました。この意味での「力」の大きさをどう考えればよいかという問いが、活力論争の中心にあったのです。ところが、1740年代に入ったあたりから、この前提そのものに対する批判が現れるようになります。この点を論じたのが、『活力論争を解消する18世紀の試み』という論文です。

この論文では、ダランベール、モーペルテュイ、オイラーという三人を取り上げました。このうちモーペルテュイとオイラーは、研究紹介:最小作用の原理でも主役として登場しています。というより、実を言えば、僕が活力論争に興味を持ったそもそもの発端は、この二人が最小作用の原理に関する著作の中で活力論争にちらっと触れていたことにありました。

ダランベールもう一人のダランベール(右)は、オイラーのライバル数学者として、またディドロとともに『百科全書』の編集者として有名です。実は、伝統的な力学史ではこの人が論争に決着をつけたと言われていたのですが、20世紀後半になされた歴史研究で、その見方は否定されてしまいました。先に活力論争の研究状況を紹介したところで「活力論争の終わりがはっきりしなくなっている」と書いたのはこのためです。活力論争はいつ、どのようにして終わったのか、これが僕の疑問でした。

僕の論文の主旨は、活力論争の「解消」という観点を新しく導入すべきだ、ということに尽きます。18世紀半ばの時点では、現在のような「力」「運動量」「運動エネルギー」といった概念はまだ十分に把握されていませんでした(それでも、かなりそれに近付いているのは確かですが)。したがって現代から見ると、概念の混乱した状態が続いているように見えます。ですが、ダランベール、モーペルテュイ、オイラーの三人は、それまでの人々が当然のものとして受け容れていた「運動物体の力」という考え方をはっきり拒否しました。たとえ現代的な解決になっていなくても、それは歴史上大きな変化であったに違いありません。

おわりに

活力論争は、現代の物理学に慣れた眼からは、ひどく奇妙な議論に見えます。僕はなんとかして、この奇妙さを減らし、もっと納得のいく記述を与えたいと思いました。問題は単に、現在ある物理理論がどのように形作られてきたかということにとどまりません。およそ300年前に生きていた、僕たちにとって「異文化」に属する人々の考えに辛抱強く耳を傾けること、そして、できる限り彼らの言葉に寄り添ってそれを理解しようと努めることが問われているのだと思っています。

文献一覧

この記事でご紹介した、僕の論文(およびそれに準ずるもの)の一覧です。書いた順番に並べてあります。

活力論争についての概観は、1.の後半部にあります。 3.は扱っている素材そのものが相当難解なので、よほど興味のある人向けです。 活力論争の「解消」という僕の見解は4.にあります。

  1. [サーベイ論文]「活力論争とは何だったのか」
    『科学哲学科学史研究』第3号(2009年2月),39-57頁.
    全文
  2. [記事]「科学史から何を学ぶか:ス・グラーフェサンデの実験を例に」
    『サイエンスネット』(数研出版)第38号(2010年9月)14-15頁.
    全文
  3. [論文]「合理力学の一例としての衝突理論 1720-1730年」
    『科学哲学科学史研究』第6巻(2012年2月),17-27頁.【査読あり】
    全文
  4. [論文]「活力論争を解消する18世紀の試み」
    『科学史研究』第51巻第263号(2012年9月),160-169頁.【査読あり】
    Abstract (on CiNii)
2012/10/8
科学史への小窓 著者について 研究紹介