バーク『近世ヨーロッパの言語と社会』(2009)

ピーター・バーク(原聖訳)
『近世ヨーロッパの言語と社会:印刷の発明からフランス革命まで』
東京:岩波書店,2009年.

[Peter Burke, Languages and Communities in Early Modern Europe.
Cambridge: Cambridge University Press, 2004.]

言語と共同体(社会)はどのような関係にあるのか、これが本書のテーマである。具体的には、概ね15世紀から18世紀までのヨーロッパを対象として、諸言語の内部や境界でどのようなことが起こったのかを――それは競合、標準化、混合、純化といった様々な形で現れるのだが――膨大な資料によって概観している。参考文献表には実に600を超える数の著作が挙がっており、これほど多くの材料を捌いていく手腕はこの著者ならではと言うべきだろう。

著者はこの本での試みを「言語社会史」と呼んでいるが、その根底にあるのは言語と共同体が密接に関連しているという問題意識である。「われわれは、言語の役割を、共同体の緊密度の表現ないし反映として検討するばかりではなく、共同体を構築し、再構成する手段の一つとして考えなければならないのである」(7頁)。したがって、諸言語がどのように関わりあってきたのかという本書の分析は、共同体がどのように構築され、互いに作用しあってきたのかについての考察として読まれるべきであろう。本書で語られるのは「求心力と遠心力、集中と分散、同化と抵抗、規律と自由、単一性と多様性といったさまざまな要因の絶えざる衝突」(18頁)に他ならない。

「言語の発見」

第1章では、著者が近世における「言語の発見」と呼ぶ事態が素描される。著者によれば、15世紀半ば以降、言語について自覚的になる人々が増え、言語の「貧しさ」や「豊かさ」についての論評が見られるようになった。それだけでなく、言語の歴史や多様性への関心もまた高まったとされる。

言語の歴史について言えば、まず15世紀には古典語(ラテン語、ヘブライ語、ギリシャ語など)に注目が集まり、次いで16世紀にはラテン語の歴史をモデルとして各俗語の歴史が書かれ始める。こうした中で言語の起源に対する関心も高まり、様々な説が提示された。他方で、言語の比較研究も行われ、諸言語の「一族」についての議論もなされた。また興味深い点として、言語の歴史が論じられる際には言語と帝国の類似性や結び付きがしばしば取り上げられたということにも触れられている。

多様性に関しては、諸々の言語の長所・短所が民族的性格と結び付けて語られることがしばしばあった。あるいは、ドイツ語や英語は男性的、イタリア語やフランス語は女性的といった言語のイメージについての記述も多く見られる。しかし著者が特に注意するのは、「社会方言」すなわち特定の社会集団に特徴的な言語への関心である。社会階層による言語の違い(例えば農民や貴族)だけでなく、ある宗派に特有の言葉遣いや、女性の言葉遣い(男性がそれを非難ないし揶揄するというパターンが多い)、地域ごとの方言などにも既に関心が持たれていた。そうした言語のヴァリエーションは戯曲の中で積極的に利用されたし、また話し言葉における訛りの違いにも重要性が認められていたことを著者は指摘している。

ラテン語共同体の盛衰

「私はむしろラテン語とは共同体を探索し続ける言語だったと言いたい」(57頁)。第2章では、ラテン語の使用が近世の人々をどのように結び付けていたかが概観される。例えば、弁護士、官吏、外交官、旅行者という四つの社会集団においては、ラテン語が主要言語として、あるいはヨーロッパ地域内での共通語として用いられていた。またヨーロッパの外でも、アメリカ大陸にラテン語学校が作られたし、日本やインドネシアにも一時、ラテン語が伝えられ、教えられたことがある(日本の事例はイエズス会の神学校によるもの)。

とは言え、ラテン語が用いられた中心的な場としてまず挙げておかなければならないのは教会である。一般的な傾向として、カトリックではラテン語が典礼の言語として用いられ、それが普遍性の醸成と伝統の自覚に貢献したと著者は見る。ここで重要なのは、ラテン語を知っているか知らないかで文化が二つに分かれる、つまりラテン語は「ある人々を内側に入れ、ほかの人々を排除して、「共同体」を形成する」(64頁)という点である。ラテン語と民衆語を折衷したような事例も多々あるが、それにも拘わらずラテン語が「まさに俗人から距離を保つために、俗人に理解できないように、聖職者によって意図的に用いられた」(67頁)という面があるのは否定できない。こうしたカトリック主導のラテン語共同体はしかし、宗教改革の結果として縮小することになる。

それでもなお、ラテン語は16-17世紀にあって「知識人の母語」であり続け、国境を越えた――ただし汎ヨーロッパ的とは必ずしも言えない――共同体を形成していた。

ポルトガルのリスボンからポルスカのクラクフに至るまで、学者たちはラテン語での書簡のやりとりが可能だったので、彼らはこの「文人共和国」[※]ないし「学識人連邦」と表現する国際的共同体に属することを実感できたのである。このいっぽうで、ラテン語を使用するこの共和国から、正教会の東欧地域は実質的に排除されていた。(70頁)

このネットワークの形成・拡大には、大学の相次ぐ設立や国際条約におけるラテン語の使用も一役買っていた。また17世紀後半まで書物の大半がラテン語であったということも注意されている。ただし近世とは、ラテン語で書くかどうかが選択されるようになっていった時代でもあった。科学史の事例で言えば、ガリレオ、デカルト、ニュートンはラテン語と俗語の両方で著述を行っており、この変化を反映している。

※「文人共和国」と訳すべきか「文芸共和国」とすべきかが悩ましい。ここでは本書の翻訳に従っておくことにする。

こうして十七世紀半ば以降、特に十八世紀半ばを過ぎると、ラテン語は衰退していく。なお、十七世紀には「普遍言語」を作ろうとする試みが幾度もなされたが、著者がこれを「国際語としてのラテン語の衰退に対する反動」(80頁)と見ているのは興味深い。またこの章では、近世において用いられたラテン語に多様な変異があったことも議論されている。「ラテン語を複数で語り、考えることが必要だろう」(75頁)という著者の問題提起は心に留めておいてよいように思われる。

競合と標準化

近世には、国(地域)ごとに俗語が「興隆」し、ラテン語からの「解放」が起こったということがしばしば言われる。著者は第3章の始めにこうした「革新派解釈」に触れ、それに対する検討課題としていくつかの(正確には五つの)論点を提示する。そしてそれに続いて、近世における俗語の地位向上を示すものとして、様々な「俗語賞賛論」が16世紀半ばから17世紀半ばにかけて著されたことが紹介される。こうした書物では自国語が賞賛され、他国語が非難されるのだが、こうした俗語間の競い合いがこの章の話題である。

著者は特に、ある特定の社会・文化領域からある言語が排除されるという現象に関心を持っているようである。そうした事例は、法律や行政、学術、宗教といった領域の中に見つけることができる。科学史に関わる点としては、ラテン語が自然哲学分野で使われなくなっていった理由として、(1)新たな事物や思想を表すには新しい語彙が必要だが、これは正統的なラテン語からの逸脱であった、(2)多くの職人層が議論に加わり、ラテン語を用いるわけにはいかなくなった、という二点が挙げられている。

この章の後半では、ヨーロッパにおける言語の「勝者」と「敗者」について、ネーデルラント語、チェスコ語、カタルーニャ語といった事例を引いて語られている。またこれに先立って、俗語間の翻訳を一種の「貿易収支」として議論しているのも興味深かった。ともあれ、こうした俗語間の競い合いは最終的に、17-18世紀におけるフランス語の共通語化という形で一つの決着を見ることになる。

俗語の「興隆」に関してもう一つ重要なのは、それぞれの言語内における標準化の動きである(第4章)。それは「空間をまたぐ均質性」と「時代を越えた固定性」を目指しており(122頁)、16世紀から18世紀にかけて諸々の言語の文法書が(主としてラテン語で)著されたことなどに見ることができる。このプロセスにとって重要だったのが印刷物であるが、ここでも著者は注意すべき問題点を四つ提起している。そのうち特に、言語の規範化と均一化を(どちらも標準語化ではあるが)区別すべきであるという点は心に留めておいてよいだろう。

以上を踏まえて著者は様々な言語における標準語化の過程を概観する。その詳細は省いて結論だけ見ておくことにすると、「標準語化は、意図的な言語計画に多少は負うところがあったが、国語の統一についていえば、印刷媒体や、宮廷や都市の興隆といった、人的な規制の及ばない力が果たしたところのほうがむしろ大きかったと言えるように思う」とされている(152頁)。しかしながら、どのような要因で標準語化がなされたにせよ、これが第2章で見たラテン語の場合とは異なる共同体を生みだしたことは確かだろう。「俗語の標準形とは、新たな共同体の価値を表現するものだった。その共同体とは、ラテン語の学識文化ばかりでなく地方の民衆的な方言文化とも異なる新興勢力であり、俗人エリート層の民族的な共同体であった」のである(124頁)。

混合と純化

本書ではとにかく膨大な事例が紹介されているが、諸言語の混合を論じた第5章はその極みであり、この本の真価が発揮されている。複数の言語が接触したときに言語の混合あるいは借用が生じることに特に不思議はないが、著者は近世においてこそ、そうした相互作用が促進されたと言う。その理由としては、第一に大規模な集団的移住が何度かあったこと、第二にラテン語が衰退して他国語を学習する機会が増えたことが挙げられている。著者はこの章の導入部に続いて、そうした言語学習の実態についても述べている。

ここからが真骨頂である。複数の言語が接触していた地域・都市や著名な多言語話者を紹介した後で、著者は、言語の混合が当時の人々によってどのように意識され、表現されていたか――特に料理の比喩が多いのだそうだ――、ヨーロッパ外部からどのような語彙がもたらされたか――日本語の「坊主」はポルトガル語、イタリア語を経由して「ボンズ」(仏教僧)として広まったのだという――、ヨーロッパ内部でどのような言語的「侵略」(語彙や言葉遣いの流入)が起こっていたか、ラテン語が俗語の中にどのように取り込まれていたか、文学において「マカロニ語」(雅俗混合体言語)がどのように使われていたか、いったことの事例を次々と提示するのである。またその間には「新世界ポルトガル語の事例」や「混合の場としての軍隊」といった一風変わった節も挟まれており、著者の持っている情報量の多さには驚きを超えて唖然とさせられる。こうした言わば帰納的な議論の後、俗語間の語の借用に関する定量的(統計的)研究が紹介され、ミハイル・バフチーンの言う言語間の「相互活性化」のプロセスは17-18世紀にも衰えていなかったと結論付けて、第5章は終わっている。

ところが、こうして言語の混合が進む一方で、それに反対する立場も主張されていた。第6章では言語の純粋性を求める活動のうち、特に「民族的」(エスニックな)純粋性に焦点が当てられる。前置きとして、近世のヨーロッパにおける純粋性への関心一般と16世紀におけるラテン語純化論について述べられた後、著者は俗語の純化へと話題を進めていく。ここではまず、他の人々とは一線を画そうとする「分離派的」な主張について簡単に述べられ、次いでこの章の中心的な話題である「防衛的純粋性」の議論が取り上げられる。著者は人類学者メアリ・ダグラスの議論を参照しつつ、「境界の向こう側から侵入する語彙、外国語によって文化が侵略されたと考える人々の、時に非常に暴力的な反応」(209頁)を概観していく。引用される事例は例によって様々な言語に及んでいるが、特に17-18世紀のドイツでは外来語に対する反対が強かったことが指摘されており、18世紀末になっても「オクシジェン(酸素)」ではなく「ザウアーシュトフ(酸=素)」という在来語の複合語が訳語に使われたことなどが紹介されている。ただし、以上のような純粋化論に対する反発もやはり存在しており、そうした側面についても簡単に取り上げられている。

この章ではまた、「近世の特定の場所と年代において、なぜ言語の純粋性への関心がとくに高まったのか」(223頁)が考察されている。著者は内部的要因としては「外国語の語彙が大量に入り込んだときの言語の防衛的反応と言うべきもの」(同頁)を指摘し、外部的要因としては宗教・政治・社会などの動きとの関わりを検討する。こうした点はそのまま、終章の考察へとつながっていくことになる。

言語と民族(そして科学)

終章では、これまで見てきたような近世の状況とフランス革命以降の状況が対比される。著者はまず、言語と民族の関係がかなり古いものであるように見えることを確認するが、しかし「こうした見せかけの近代性は幻想にすぎない。民族ということばで示しているのは今日的な意味ではないし、これらの事例における言語が、王国や帝国の絆としての言語を指していることはほぼ間違いないのである」と主張する(231頁)。19世紀以降の国家は第一義的には民族国家であり、意図的な言語政策がしばしば採用されるが、18世紀以前にはそうしたケースは稀であるし、少なくともそれは近代的な意味での民族主義の現れではなかった。「1750年頃までについていえば、言語と民族の関係より、言語と国家の関係のほうが結びつきが強かったと言って差し支えはないだろう」(233頁)。

ところが、「18世紀には言語の統一性が「発見」された」。言語と民族意識が緊密に結びつくようになり、「単一の言語」が国家の条件と見なされ始めたという意味で、18世紀後半は画期をなしているとされる。

19世紀以降、国軍や義務教育などが重要性を増し、ラジオやテレビなどの新たなメディアも台頭してくる。そうした中で言語の<標準化>が進展したのは確かだが、著者はむしろ、複数の言語による<競合>状態が続いていた――現在でも続いている――ことに注意を促しているように思われる。同じように、19世紀には民族主義と結びついた言語の<純化>運動が増大していったが、本書の議論を踏まえるならば、これもまた複数の言語の<混合>という事態と表裏一体のものとして捉えるべきなのだろう。実際、著者が本書で意図したことは、単一の国語の成長を語るような「国語の民族史、国語民族主義の歴史」を批判することであった(246頁)。

科学史の関心から言えば、本書で描かれたようなヨーロッパの言語状況が科学研究にどう影響してきたのかという問題を考察してみることは興味深いと思われる。とりわけ、科学が本来持つべきと思われる普遍性について考えてみるとき、ラテン語から諸々の俗語への移行と、それぞれの俗語の変容――競合・標準化・混合・純化――という事態の持つ意味は決して小さくないのではないだろうか。そしてこの観点からはまた、科学分野の論文が近年ではほとんど英語で出版されるようになっているという状況も示唆的であると言うべきであろう。科学においてもまた、言語と共同体をめぐる問題群は近世ないしそれ以前から連続しているように思われる。

2010/1/29 (C)N. Ariga
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