クロスビー『数量化革命』(2003)

アルフレッド・W・クロスビー(小沢千重子訳)
『数量化革命:ヨーロッパに覇権をもたらした世界観の誕生』
東京:紀伊国屋書店,2003年.

[Alfred W. Crosby, The Measure of Reality: Quantification and Western Society, 1250-1600.
Cambridge: Cambridge University Press, 1997.]

著者は科学史の専門家ではなく、ヨーロッパ史を中心とする歴史家である。 著者の関心事は「ヨーロッパ帝国主義が驚くべき成功をおさめた原因」にあり(p. 7)、 本書ではその「成功」の一因として、独特の「思考様式」に注目している。 なぜヨーロッパ人は「成功」したのだろうか?

教科書に載っている解答は、一言でいえば、科学とテクノロジーである。 […]だが、十九世紀よりずっと以前のヨーロッパ帝国主義の揺籃期に目を転じると、 科学やテクノロジーの名に値するものはほとんど見出せない。 西ヨーロッパに有利に作用した要素は、当初は科学とテクノロジーそのものではなく、 西ヨーロッパ人の思考様式であったに違いない。(p. 9)

この思考様式とは、端的に言えば、現実の世界を数量的に把握する、というものだ。 著者はこうした思考が生まれてきた経緯を、中世後期からルネサンスの社会の中に探る。 したがって結果的に、本書はいわゆる「近代科学」の起源を探る科学史の研究書となっている。

数量化

本書は大きく前半と後半に分かれている。まず前半で論じられるのは、 「数量化革命」を準備した背景、すなわち「必要条件」である。

現実世界を数量的に把握する、言い換えれば物事を「測量する」という考え方は、 ユークリッドの幾何学やプトレマイオスの天文学など、古代にはかなりの成果を収めていた。 しかし中世初期のヨーロッパではそうした仕事はほとんど失われており、 「1200年前後の西ヨーロッパには、数量的に構成された現実世界という概念を まともに考察する者は、ほとんどいなかった」(p. 34)。

事態が変化するのは、1300年前後のことである。 それは、この時期に、ヨーロッパで最初の機械時計と大砲が作られたことに象徴される。 機械時計は、つかみどころのなかった「時間」を、均一で測定可能なものにした。 大砲は、目的に向けて精確に飛ばすために、「空間」を測定することを必要としたのだ。 こうした変化は、より精確な暦の作成や、測量に基づく地図・海図の作成とも結びついている。

また、この時代にはいわゆる都市と呼ばれるものが生まれてくる。 都市住民の多くは商業に従事し、仕入れ・販売・両替は計算することを要求した。 こうした社会では、現金による貨幣経済が一般化し、様々なものに値段が付けられる。 「価格はあらゆるものを数量化した」のである(p. 98)。 こうした状況は、アラビア数字による計算法の発展によっていっそう促進された。

こうして、西ヨーロッパではゆっくりと、現実世界の新しい見方が広まった。 「正確さと物理的現象の数量的把握、そして数学を、はるかに重視していること」(p. 82) を際立った特徴とするこうした見方を、著者は「新しいモデル」と呼ぶ。

視覚化

第一部で「数量化革命」の背景を検討した後、 第二部ではそれを引き起こしたもの、すなわち「十分条件」が考察される。 前者が「酸素と可燃物」であるのに対して、後者は「マッチを擦るという行為」である(pp. 71-2)。 そしてこの「十分条件」を、著者は「視覚化」であると主張する。

視覚化の内容は幅広く、黙読の普及、楽譜の登場、遠近法の誕生、などが含まれる。 文字を書き、それを「見て」読むこと。音楽を譜面に記し、それを「見て」歌うこと。 さらに、実際の光景と同じように「見える」空間を絵の中に表現すること。 こうした視覚の重視は、中世後期のヨーロッパ文化に生じた重大な変化だった。

ここで著者がもう一つ挙げている興味深い例は、複式簿記の誕生である。 これは「世界を変えたわけではないし、資本主義に不可欠な要素でもなかった」(p. 278)が、 常に変化し続ける経済を数量的に分析することを可能にしただけでなく、 「世界をプラスとマイナスに還元する技法」(p. 282)であったと著者は見なしている。

こうした「視覚化」はすべて、何らかの実践をすることと結びついている。 そして、彼らがそれを実践しようとしたとき、そこには「数量化」の考え方が準備されていた。 こうして、数と量に基づいて実践を行うという、革命的変化が生じたのである。

彼らは実際になにかを、すなわち歌うことを、絵を描くことを、帳簿の帳尻を合わせることを、 実行しなければならなかった。これらの行為は必然的に計算を伴っている。 そして、計算するとはとりもなおさず、現実世界を――計算することができ、 かつ計算しなくてはならない――数や量で構成されたものとみなすことにほかならない。(p. 183)

結論

数量化と視覚化による「新しいモデル」は、旧来の神話的なモデル、 「神と神の目的があらゆるものを覆っている」(p. 69)モデルにとって代わった。 意外だったのは、この「新しいモデル」が大きな成功をもたらしたということであり、 自然がこのアプローチを受け入れたのは「奇跡中の奇跡」に思える(p. 290)。

このモデルは人類に、彼らがかつて持ったことのない強大な力を授けた。 そして、多くの人々に、宇宙の本質を理解できるという心地よい信念を ――その後数世紀にわたって――抱かせたのである。(p. 301)

こうした著者の見方が科学史にとって重要なのは、「近代科学」と呼ばれる営みが、 一握りの天才たちによって突然創造されたのではないことをはっきり示しているからである。 ガリレオを始めとする「近代科学の父」たちは、「新しいモデル」を積極的に推進した。 だが、それが可能になるためには、無数の実践家たち(画家や商人を含む)によって、 その「新しいモデル」が前もって準備されていなければならなかったのである。

とは言え、「数量化革命」といわゆる「近代科学」の間には、溝があるように思う。 それは、18世紀あたりまで、数学とはもっぱら幾何学のことであったという点である。 実践家たちが推し進めた数量化という思考様式と、初期近代の自然哲学者たちが持っていた 数学=幾何学による自然理解という立場とは、果たしてうまくつながるだろうか。 たとえば遠近法は、どちらかと言うと数量化ではなく幾何学化の領分だと思うのだが、 著者はこの区別には無頓着である。

世界の数量的な把握と数学的な把握とがうまく結びつくかどうか、 あるいは「数量化革命」が「科学革命」を準備したと言えるかどうか。 著者は「科学革命」については何も述べていないが、 科学史の観点から本書を読むと、やはりそのあたりに関心が向かう。

だがいずれにせよ、「近代科学」が成立するよりも前にヨーロッパ人の思考様式に 重大な変化が起こっていたという著者の主張の重要性は失われない。 数量的であることは今日、「科学的」であることの要件となっているように思われるが、 そうしたものの見方がそもそもどのように生まれてきたのか、 本書はそれを非常に興味深く描き出している。

2007/2/2 (C)N. Ariga
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