藤井『日本の地震学』(1967)

藤井陽一郎
『日本の地震学:その歴史的展望と課題』

東京:紀伊國屋書店,1967年.

「日本の地震学」とは、何のことだろうか。地震学のうち日本で行われている部分、というのがまずは考えられる。英語にすれば"Seismology in Japan"である。それともそれは、日本に固有の、何か本質的要素を備えた地震学のことなのだろうか。"Japanese Seismology"と評してよいような何かが、果たしてあるのだろうか。

著者はおそらく、「日本の地震学」という言葉で、この両方を問題にしている。つまり本書は、日本における地震学の展開を辿るものであると同時に、日本的な地震学の性格を示そうとする試みでもある。新書という形態を取った小著であり(と言っても200ページを超えるが)、刊行から半世紀が経とうとしているにも拘わらず、学べる点は今なお少なくない。

日本における地震学の展開

本書では、おおむね江戸時代から現在(1960年代半ば)までの地震学の展開が、ほぼ通時的に記されている。その歴史の流れをここでまとめるのはやめて、目次だけを書き写しておくことにしよう。「序論」や「まとめ」などを除いた本論の構成は次の通りである。

  1. 江戸時代の地震論と震災対策
  2. 来朝科学者による日本の近代地震学の創始
  3. 世界最初の地震学専任教授、関谷清景
  4. 濃尾大地震と震災予防調査会の設立
  5. 明治・大正期の地震学の体系をととのえた大森房吉と今村明恒
  6. 関東大地震の諸経験と大森地震学への批判
  7. 地震学と地球物理学
  8. 太平洋戦争下の地震学
  9. 戦後の地震学と地震学の近代化
  10. 震災対策と地震予知の新らしい課題

また、「まとめ」では、明治以降の地震学の歴史が次のように時代区分されている。

地震の科学的研究はまず明治のお雇い外国人たちの手で始まり、これが関谷清景など日本人に引き継がれる。近代的な地震研究はこうして、欧米に先駆けて日本で開始された。明治半ばの濃尾地震を受けて設立された震災予防調査会では、大森房吉らによる活発な研究が展開された。しかし関東大震災以降、データの統計的解釈を中心とした大森の方法論は批判され、地震は地球物理学のアプローチによって研究されるようになっていく。戦後に再出発した地震学も、この流れを汲むものであり、そこでは地震予知が中心的な課題として存在感を増してきた――本書が提示するこうした流れは、今日においても、日本における地震学の展開に関する基本的な歴史叙述を与えている

※なお、地震予知は長らくのあいだ国家プロジェクトとして地震学と地震対策の中心にあったが、阪神・淡路大震災以降は、「リアルタイム地震学」などによる総合的災害対策に重心が移動してきているようである。

「震災」への視点

けれども、本書の最大の特色は、自然現象としての「地震」と並んで「震災」への視点を歴史叙述の中心に据えている点にある。このことは「序論」ではっきりと、次のように言われている。

……日本人の歴史と地震・震災及び地震学との関係を考察するとき、震災対策ということが結局地震研究の出発点であることが分るし、逆にいえば、震災対策を含む地震学の建設が地震研究の目標でもなくてはならぬことが分る。日本で何故「世界の地震学」が生まれたのか、それは単に日本が地震国だからという地域的特殊性にその原因を帰するのではなく、震災と日本人の悪戦苦闘の努力との関係で考察されなくてはならない。(p. 8)

著者は、戦前期の代表的な地震学者であった今村恒明の議論を引きながら、震災対策には「耐震建築の普及」と「地震の予知」、および一般国民に対する「啓蒙活動」という三つの側面があるとし、「一方では、地震の予知が実現しなくても震災の軽減には他の二つの方策があり得ることを念頭に入れ災害対策に見通しを持ち得るし、一方では、地震の予知が極めて重要であることをも理解し得る」と述べる(p. 9)。その上で、日本の近代地震学史の課題として次の三つを掲げている(pp. 9-10)。

注目されるのは、地震の調査や地震のメカニズムの解明なども地震予知のための研究に位置づけられ、ひいては震災対策に資するものとして認識されている点である。したがって著者の立場からすれば、地震の原因は何か、それはどのように起こるのかといった問題をめぐる研究の歴史は、それ単独では、地震学の歴史たりえない。震災対策という視点が入って初めて、それは本当の意味での地震学になるのである。

「日本の地震学」の歴史

著者の認識では、地震予知と震災対策という二つの課題こそが「日本の地震学」を構成するものであった。お雇い外国人で地震研究の実質的な立役者であったジョン・ミルンなどもこうした課題に関心を持っていたが、この二つを研究目標として明確に設定したのは世界初の地震学教授、関谷清景であったと著者は見なす。日本における地震学はお雇い外国人の手で始められたが、「日本の地震学」は日本人によって始められたというわけである。

翻って地震学の現状(本書執筆時における)はどうかと言えば、地震そのものの理解は地球物理学的アプローチによって大きく進んだけれども、震災の被害軽減に関しては「昭和前期において今村恒明などのすぐれた研究があったにもかかわらずその後十全な発展をせず、逆に忘れられようとさえしているのが現状である」と述べられている。「明治以来の日本の地震学の二大研究課題のうちの一つである地震予知が事業化される段階にまで到達した今日、もう一つの課題である震災対策研究の面での立ち遅れの克服は、日本の地震学にとっての今後にのこされた大きな現代的課題であろう」(p. 233)。

もはや明らかであるが、本書は単に日本における地震学の展開を述べたものではない。そうではなく、震災対策研究の振興を訴えることが著者の究極的目標としてある。「……日本の地震学をあとづけて見ることから、われわれは、地震学は震災対策を離れてはあり得ないことを再度発見することができるであろう。この立場こそ、今日の近代化された日本の地震学にもっとも欠けているものの一つに外ならない」(p. 12)。著者はこのように、現代では廃れているように見える要素を歴史の中から発掘してくることを通じて、地震学の一つの方向性を示そうとした。この目的によって書かれた歴史は、勝者の立場から書かれたものではないという意味でホイッグ主義的ではないけれども、一つの過去を構築することで今後の研究を推進しようとしている意味で嚮導主義的である。ただし、本文の記述そのものは基本的に史料を踏まえたものであり、恣意的な解釈を行っていると感じられる点はほとんどないことも付け加えておきたい。

「日本の地震学」から何を学ぶか

本書の最後で、著者は日本の地震学の歩みから学べることとして四点を挙げている。ここではそのうちの第一点だけに注目したい。それは次のような主張である。

[A]地震国であり震災国である日本では、地震予知と震災対策とが地震学研究の二大課題であった。[B]この二大課題に対する長期計画をたて、それと真正面から取組んだからこそ、日本の地震学は、日本における近代科学の一典型として発展することができた。[C]それゆえ今後も、日本の地震学はこの二つの課題を深く追求するものでなくてはならない。(p. 233, [A][B][C]は評者)

[C]の「それゆえ」は、端的に言って、論理的に正しくない。過去がこうであったから今後もこうでなくてはならない、というのは一つの意見に過ぎないからである。また、[B]の「〜からこそ〜」という因果関係も、正しいかどうかは確かめようがないだろう。

しかしながら、[A]と[B]に含まれる三つの事実命題は、本書を読む限り、確かに間違ってはいないように感じられる。すなわち、「地震国であり震災国である日本では、地震予知と震災対策とが地震学研究の二大課題であった」、研究者たちは「この二大課題に対する長期計画をたて、それと真正面から取組んだ」、「日本の地震学は、日本における近代科学の一典型として発展することができた」という三つである。しかしそうであるとするなら、地震予知と震災対策を特徴とする――ということは結局、震災への対応という現実的問題に根差した――「日本の地震学」なるものの歴史を考察することにより、「日本における近代科学」一般の展開を考察できるということにはならないだろうか。

本書は、「震災」への視点に立脚することで、日本における地震学の歴史的展開だけでなく「日本の地震学」の歴史的展開を提示して見せた。もちろん、「日本の地震学」が本当に地震予知と震災対策によって定義できるのかという問題は残るだろう。けれども、自然現象としての地震の理解がどのように進んだかということだけでは「日本の地震学」の歴史は語れない、という本書の基調をなす論点は真面目に受け取ってよいと私は思う。ここで問題になっているのは単に地震学の歴史ではない。「日本の科学史」とは何なのか、が問題なのである。

2013/6/24 (C)N. Ariga
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