Hankins, Science and the Enlightenment (1985)

Thomas L. Hankins,
Science and the Enlightenment.
Cambridge: Cambridge University Press, c1985.

一般に語られる科学史の中で、18世紀というのはとかく無視されがちである。 後ろを振り返れば、17世紀は輝かしい「科学革命」の時代だった。 先を見渡せば、19世紀には「第二の科学革命」とも呼ばれる科学の制度化・専門化が待っている。 この二つの革命に挟まれた18世紀は言わば歴史の谷間に当たっており、おそらく科学史の専門家であっても、この時代に何が起こっていたのかを説明できる人は少ないであろう。

本書は、そうした18世紀の科学史について説明している、ほとんど唯一と言ってよい概説書である。 1985年に出版され、その後何度か版を重ねている。 初版から既に四半世紀近くが経過し、さすがに内容の古くなってきた部分もあるのは否めないが、18世紀の科学史全体を取り上げたコンパクトな概説書は私の知る限りこれしかない。 その意味で、本書は依然として、この時代の科学への入口であり続けている。

18世紀の科学:その総体的特徴

『科学と啓蒙主義』という本書のタイトルが示しているように、ヨーロッパの18世紀は何をおいてもまず、啓蒙主義の時代である。 科学史にあっても、その風潮は決して無視することができない。 そこで本書はまず、「啓蒙主義の性格」(The Character of the Enlightenment)と題された第1章から始まる。 著者がそこで最初に説明するのは、この時代を特徴づける言葉「理性」(reason)である。 17世紀における自然法則の発見は、自然を「理性的に」(合理的に)探究することによって神に接近する道を開き、それはやがて、神のことは忘れて純粋に自然そのものを理解するという姿勢につながっていった。 「完璧な知性としての理性から自然法則としての理性というこの移行」(p. 6)こそ、著者によれば、啓蒙主義の大部分を生み出した要因であった。

そうして始まった啓蒙主義の時代においては、科学は未だ文学(文芸)と分離していなかった。 自然を研究するのは端的に言って「よい」ことであるとされ、そうした活動は「文芸共和国」(republic of letters)において推し進められた。 自然哲学者たち自身、自ら「文芸人」(men of letters)として知られることを望んだのである。 ただし、文学の場合と異なり、自然哲学には、人類の知識を増加させ、社会条件を改善するような確かな方法があるように感じられた。 この時代の科学についてしばしば使われた「ニュートンの」(Newtonian)という形容詞は、こうした感覚と結びついている。 とは言え、著者によれば、このいわゆるニュートン主義(Newtonianism)はあくまで大衆的なレベルのものにすぎなかったという。

大衆的なレベルではそれ[ニュートン主義]は何かを表わしており、啓蒙主義のイデオロギーにおいては大いにそうであったが、実験室や数学者の机に移ってみればそれはあまりに一般的かつ不正確すぎて科学史家にはあまり助けにならない。(p. 10)

同様に多義的な意味を持つのが「機械論哲学」(mechanical philosophy)である。 デカルト、マールブランシュ、ニュートン、ライプニッツといった17世紀の人々の思想がこの言葉の下に括れるとしても、彼らは運動とその変化の原因、すなわち力について異なる見解を抱いていた。 こうした見解の相違は18世紀にも受け継がれ、力をめぐる論争はこの世紀を通じて、科学と哲学が交差する地点であり続けることになる。 これは何も力学に限った話ではなく、後で少し触れるように、生理学との関連でも大いに問題となった。

以上を踏まえ、ここからは、科学の各分野における18世紀の様子を見ていくことにしよう。

数学

既に触れたように、18世紀の科学を特徴づけるのは「理性」である。 そして、理性的な推論(これ自体一種の同語反復だが)を代表するのが数学であった。 それゆえ「数学が啓蒙主義の科学のスタイルを決めた」(p. 16)のだが、この意味で特に重要だったのは「解析/分析」(analysis)である。 この言葉は、数学の文脈では問題を方程式に帰着させることを意味し、とりわけ18世紀の間は、主として微分・積分計算とその力学への適用を指していた。 しかし他方で、この言葉は「総合」(synthesis)と対になり、適切な科学的方法――自然の分析・総合――をも同時に意味することになった。 コンディヤックを代表とする哲学者たちにとっては、解析/分析こそが科学の方法だったわけである。

本書は第2章で、こうした解析の意味と数学におけるその実際、それに直接関係する力学の諸問題、さらには天文学や測地学の話題を一通り概観している。 活力論争や地球の形状の測定といった、18世紀の科学史を彩るエピソードも簡潔に紹介されている。 「数学と精密科学」(Mathmatics and Exact Sciences)が章の題名だが、数式は本文中には登場せず、ごく一部を除いて数学的な詳細には踏み込んでいない。

また、同じ数学でも確率論に関する内容は、「社会数学」(social mathematics)との関連で第6章で説明されている。 そこで問題となっていたのは、要するに人間の判断を数学的に取り扱うことであったと言ってよいであろう。 この意味で用いられる確率論は、保険料の算出や有罪・無罪の判定といった実用的な問題と関連していただけでなく、個人ひいては社会を支配する法則を明らかにすることで社会を改良しようという野心的な――今日から見れば荒唐無稽とすら映る――政治思想とも密接に結びついていた。

翻って、第2章で扱われているのは、今日想像されるような意味での数学ではなく、むしろ、当時の分類で言う「混合数学」(mixed mathematics)だと言う方がよいのかもしれない。 しかしながら、同じ混合数学でも光学、水理学、築城学といった内容は扱われておらず、あくまで力学と天文学に対象は限定されている。 そして著者は、この概観から次のように結論付ける。

理性的な哲学思考の例として、数学と力学はその価値を証明していたのであり、天文学においてそれらは大きな前進をもたらしていた。 だがそれらは現実の機械の設計や実験の改良にはほとんど貢献していなかったのである。(p. 45)

数学・力学は、実験とほとんど関係なかった。 実験はしかし、18世紀の科学の主要部分を形作っている。

自然哲学

自然哲学あるいは「自然学」(physics)という言葉の指すものは、18世紀においては、今日言う「物理学」とは一致しない。 電気(静電気)、熱、光などの研究だけでなく、例えば生理学も自然学の中に含まれていたし、自然学を化学と明確に区分することも難しかった。 18世紀はむしろ、こうした諸分野がそれぞれ独立していく過渡期にあたっている。

ところで、第3章「実験自然学」(Experimental Physics)の導入部で説明されているように、自然学ないし自然哲学は、とりわけオランダのライデン大学の人々(ブールハーフェ、スフラーフェサンデ、ミュッセンブルーク)によって、1720年頃から徹底的に実験的な営みとして推進されるようになった。 ただし当初の実験哲学は、実験や演示装置の役割を大いに強調したけれども、決して定量的なものではなかったことに注意しなければならない。 「測定は、何を測定するのが重要であるかを定性的な理論が特定するまで待たねばならなかった」(p. 50)のである。

おそらくこの事情は、電気の場合に最もよく当てはまる。 著者は第3章の半分を割いて18世紀の電気研究を解説しており、 その内容はホークスビーからヴォルタまで、概ねスタンダードなものと言ってよいであろう。 電気の伝導や反発といった新しい現象が世紀前半に実験で見つかり、世紀中頃からは微細な電気流体による様々な理論が提唱された。 そしてその後、1760頃からようやく、電気に関する様々な量を測定する試みが本格化したのである。

これと比べると、この章の後半で扱われている熱の方はより早くに理論化されていたと言えそうに思われる。 17世紀において既に、熱は微細な「火の粒子」によって引き起こされるとされ、そうして生じる熱を測る道具――温度計――が製作されていた。 18世紀を通じて、熱の理論はそうした粒子を想定しながら練り上げられていったのであった(熱容量、潜熱といった概念)。

したがって、著者のまとめはこうである。

微細流体(subtle fluids)は啓蒙時代を通じてよくその役割を果たした。 それは実験自然学の定量化を可能にし、行き渡っていた機械論哲学により抽象的な次元を付け加えたのである。(p. 80)

このように、著者は18世紀における微細流体の概念の重要性を強調しているのであるが、その際興味深いことに、その概念的基礎はアリストテレス的な「火」と「空気」の元素に求められている(pp. 52-53)。 実際、18世紀において電気や熱は「火」の一形態とも考えられていた。 現代から見れば奇妙ではあるが、少なくとも18世紀の初頭には、アリストテレス的な四元素説は依然、自然学の基本的な枠組みとして使われていたのである。

しかしながら、この四元素説の枠組みは、18世紀の終わりまでにほぼ解体されることになる(p. 112)。 固体を形作るとされた単一の「土」は、燃焼によって様々な「土」に分解し、それらはさらに液体や気体にも変わった。 それ自体で空気を形成すると思われていた「空気」にも様々な種類(固定空気、脱フロギストン空気、etc.)があることが分かり、「水」もまた、複合的なものであることが判明した。 第4章「化学」(Chemistry)で解説されているのはこうした一連の経緯であり、それは通常「化学革命」と呼ばれるものに他ならない。

この「化学革命」の説明も、その中身は概ねオーソドックスなものと言ってよいであろう。 気体状態の理論の創造、様々な「空気」の発見、燃焼の本性の発見の三つが、この「革命」の主要な材料であった(p. 93)。 また、ラヴォワジエの最大の業績は、酸素の発見ではなく「化学の組織化と合理化」に求められている(p. 109)。 しかしおそらく、この章で強調されている論点は、この一連の「革命」が機械論哲学とは関係なかったという点であろう。

[……]だが機械論哲学は、酸性、アルカリ性、金属性、塩性といった化学的性質や、燃焼、発酵、蒸留といった化学的操作を説明するのに何の利点も与えてくれなかった。 化学革命は機械論哲学の何らかの勝利によってではなく、こうした伝統的な化学的性質や操作の合理化によってもたらされたのである。(p. 84)

化学現象を原子間の引力・斥力によって説明しようとするプログラムはうまくいかず、1740年頃には、化学は物質の構造を機械論的に考察するのをやめて、化学的なプロセスを合理化しようとする方に向かった。 興味深いことに、これと同じ時期に同じようなことが生理学の分野でも起こっている(pp. 123-124)。 それはすなわち、生物の構造を機械論的に説明することから生体機能を実験的に探究することへの転換であり、「機械的理論の失敗が生理学をいっそう現象論的にした」(p. 120)のだと著者は説明している。

この実験生理学の発展と、それと関連した発生・遺伝の理論の変遷が、第5章「自然史と生理学」(Natural History and Phisiology)の4分の3を占めている。 呼吸、消化、再生(ヒドラの例が特にセンセーショナルであった)、発生、遺伝などに関する観察・実験と、刺激(irritability)や発生の理論(前成説・後成説)とがバランスよく記述されているという印象である。

この部分ではまた、「啓蒙時代を通じての生理学のセントラル・パラドックス」(p. 127)についても詳しく述べられている。 「18世紀の唯物主義的な哲学者たちは物質に生命の性質を与えることによってそれを能動的にした」(ibid.)というのがそれであり、ラ・メトリやディドロがその代表として取り上げられる。 だが著者は同時に、そうした思想と生理学そのものとをはっきり区別している。

ラ・メトリやディドロにとって、ポリプ[ヒドラ]を用いた実験は、魂などというものはなく生命の性質は物質中に拡散しているのだということを証明していた。 それは唯物論と無神論を擁護する哲学者にとっては有用な議論であったけれども、生理学者の助けにはならなかった。 なぜならそれはこの生命の拡散がどのようにして起こるのかを説明してくれなかったからである。(pp. 133-134)

生理学が機械論から離れたことは、それが生気論になったということを意味しない。 「大部分の科学者たちは、機械論や生気論といった包括的理論よりも実験結果の方に関心があった」(p. 120)のである。 電気から空気、生理に至るまで、18世紀の自然学ないし自然哲学は実験そのものの重視によって特徴付けられている。

自然史

本書の中で自然史に割り当てられているのは、第5章の4分の1だけである。 植物の分類や地質学の勃興などについて書かれているこの部分の強調点は、「史」(history)という言葉の二義性であろう。 ビュフォンがリンネの分類法を批判したときに、事物を分類して記述する「史」は時間的な次元を持つようになった(p. 151)。 この、静的な分類と動的な変化のどちらに重点を置くかという問題は、地質学においても現れる。 すなわち著者の見立てでは、「ハットンは地球の歴史的な取り扱いを好み、ヴェルナーは記述的な取り扱いを好んだ」(p. 156)のである。

ところで、自然史に関する記述が本書の中で随分と少ないのは、「我々が今日『科学』と呼ぶものは啓蒙時代を通じてより一般的には『自然哲学』と呼ばれていた」(p. 11)という著者の見方によるものであると思われる。 『科学と啓蒙主義』という本書のタイトルにおいて、「科学」という言葉が想定しているのは主に自然哲学である。 実際、上で見たように、実験によって特徴づけられるこの自然哲学ないし広義の自然学には、第3章(電気と熱)、第4章(化学)、第5章の4分の3(生理学)が含まれることになり、合わせると本書全体の約半分を占めている。 とは言うものの、同じく実験的でない数学・力学に一章が割かれていることを考えると、この自然史の部分の解説はやはり少ないと言わざるを得ないだろう。

科学と啓蒙主義:再考

啓蒙主義のキーワードは「理性」であり、それを代表するのが数学・力学であると著者は述べていた。 この事情は確かに、人間と社会の変革というプログラムに即して見た場合には成り立っているように思われる。

第6章「道徳科学」(moral science)――どう訳せばよいかいつも困るのだが――が扱うのは要するに人間と社会に関する話題群であり、科学について書かれているというよりはむしろ、フランス啓蒙主義の有名な話題に紙幅が割かれている。 『百科全書』について書かれているのもこの章だし、モンテスキュー、ルソー、ケネーといった人々が登場するかと思えば、さらにはカラス事件のことまで書かれている。 したがってこの章はむしろ第1章と併せて啓蒙主義の概観を与えていると見るべきだが、こうした社会思想の流れの最後に「社会科学」(social science)を構想したコンドルセと確率論による「社会数学」の話題が置かれることで、啓蒙主義と数学のつながりが強化されることになる。 著者はこうした社会思想について、こうまとめている。

コンドルセの社会科学は現代の意味での社会学ではなかった。なぜならそれは、観察された社会の振る舞いよりも個人の権利・意志・決定から始まるものだったからである。啓蒙主義の社会思想家たちは、社会が実際に従っている法則よりもそれが統治されるべき法則を発見したいと願っていた改革者たちであった。(p. 187)

こうして本書は、啓蒙主義(第1章)と数学(第2章)で始まって、同じく啓蒙主義と数学(第6章)で終わることになる。 確かにそれは、「理性」によって特徴付けられる時代であるように見える。

ところが、この両端の間には、およそ数学とは無縁な実験の世界が広がっていた。 この時代の科学、とりわけ自然哲学が実験によって特徴づけられることは、既に見てきた通りである。 著者は本書を18世紀末(ないし19世紀)の学問分類に沿った章立てによって構成しているので気付きにくいが、この本は実のところ、啓蒙主義と数学について書かれた部分と、実験に基づく自然哲学について書かれた部分とにほぼ二分されているのである(自然史について書かれている部分は、ここではひとまず措く)。

重要なことに、著者自身、この二つの間の距離を折に触れて指摘していた。 力学と実験がほとんど関係なかったこと、化学革命が機械論の帰結ではなかったこと、唯物論的な思想が生理学には役立たなかったこと、等々。 しかしそうすると、「数学が啓蒙主義の科学のスタイルを決めた」という著者の言い分は、文字通りに受け取ることができなくなる。 もし、啓蒙主義が「理性」という一語によって特徴づけられ、これが18世紀の科学全体をも特徴づけていると言うのであれば、実験自然学(および本書ではあまり取り上げられていない自然史)の営みのどこにそうした性格が見られるのかを説得的に示す必要があるであろう。

結論として、『科学と啓蒙主義』と題された本書は、この二つの要素の結びつきを示しているというよりもむしろ、その乖離を明らかにしていると言った方がよいだろう。 そしてこの見方が正しいとすれば、そこから得られる重要な教訓は、18世紀の科学を啓蒙主義との関係においてのみ論じるのは意味をなさないということである。

2009/1/7 (C)N. Ariga
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