廣重『近代科学再考』(2008)

廣重徹
『近代科学再考』(ちくま学芸文庫)
東京:筑摩書房,2008年.

[1979年に朝日新聞社より出版された本の文庫化.]

著者が亡くなったのは1975年、私が生まれたのは1982年である。 したがって本書の内容も相当に古いということになって然るべきだが、読んでみるとまったくそうではない。 それどころかむしろ、これ以上に優れた科学史の入門書は今なおないのではないかとすら思える。 この本が出版から実に三十年を経て文庫化されたことを、素直に喜びたい。

本書の構成

本書は、1970年前後に著者の書いたいくつかの文章をまとめたものである。 対象となっているのは近代以降、とりわけ19世紀から20世紀にかけての科学である。

第I部に収められた二つの論考は、近代科学の推移の記述とそれに対する批判からなる。 「科学における近代と現代」では、コペルニクスからニュートン、デカルトへ至るいわゆる近代科学の誕生を見た後、科学の制度化についてそのさまざまな側面を概観し、現代における科学の転換の必要性を示唆して論を結んでいる。 これを受けて、もう一つの論考「問い直される科学の意味」では、科学の技術化・体制化という問題が議論され、科学の価値に対する考え方を転換すべきだという主張がなされる。 ここで展開されている科学史の基本的な歴史認識と科学批判の姿勢は、今日から見てもほとんどそのまま通用するものである。

第II部には、19世紀と20世紀における科学そのものの発展を解説した生前未発表の原稿を収める。 著者の専門である物理学が中心になっているものの、「19世紀の科学思想」では化学や生理学、「20世紀の科学思想」では分子生物学や情報科学なども取り上げられている。 解説はいずれも非常にわかりやすく、科学の予備知識がなくても十分に理解できる記述になっていると思われる。

これに対して、補論として収録されている「日本の大学の理学部」は、理学部の歴史という具体的な題材に即して、近代の日本における科学の社会史的展開を述べたものである。 本書の前書き(中岡哲郎氏による)で注意されているように、その内容は『科学の社会史』[現在、岩波現代文庫]とかなり重なっているが、この補論のコンパクトさと具体性は、後者の議論を理解するのに有益であろう。 あるいはむしろ、この論考を先に読んだ上で『科学の社会史』へと進むと、かなり見通しがよくなるに違いない。

このように、本書はこれ一冊で、科学の「内側」と「外側」の歴史的展開を一通り扱っている。 この点でまず、本書が持つ教育的な意義――科学史入門としての――は大きい。 しかし、この本はまた、近代科学を考える上での重要な論点も提示している。 それが、本書全体を貫いて説かれている要素論の主張である。

近代科学と要素論

「科学における近代と現代」で、著者はまずコペルニクスからニュートンへ至る道筋を手短に述べ、同時に、こうして成立した近代科学が宗教と結びついていたことに注意を促す。まさにこのゆえに、「科学は人間の生活に意味をあたえてくれるものであり、科学は自然研究者の生と一体のものであった」(31-32頁)。 「しかし、」と著者は続ける。 「近代科学はそれ自体のうちに、そのような関係をつきくずしてゆく契機を含んでいたのである」(32頁)。 それがいわゆる「デカルトの方法」である。

われわれがある現象または事物を科学的に研究しようとするときにとる方法は、その現象または事物を、いくつかの要素の組み合わせからなるものとみなして、それらの要素をそこから抽出することである。 そして、抽出された異なる諸要素の一つ一つについて、その性質、それが従う法則を探求する。 それが見出されたなら、もとの事物は、要素の組み合わせとして演繹的に説明できるであろう。(34頁)

著者は、近代科学を特徴づけるとされるこの方法を、原子論や機械論といった対立候補を退けて要素論と名付けている。

要素論という発想に近代科学の特徴を見ることは、別段目新しいことではない。 大切なのはここからである。 「要素論の重要な意義は、それによって計算による予測と合理的コントロールが可能になるというところにある」(38-39頁)、こう著者は主張する。 非要素論的な、言わば全体論的なアプローチによって得られた結果は「普遍的に繰り返し、他へ伝達することが難しい」(39頁)。 対照的に、「普遍的な要素に分解し、その要素ごとに法則を見出すことによってのみ、科学による対象の記述、自然の技術的操作が普遍的に可能となるであろう」(39頁)。 要素論的な近代科学は、その成果を「他へ伝達する」ことを容易にし、「自然の技術的操作」をいつでもどこでも可能とするのである。

近代科学の成立を受けて始まる18世紀は、啓蒙主義と、やがて産業革命へとつながる経済発展とによって特徴付けられる。 この二つが相俟ってもたらした重大な帰結は、科学からの神の追放であった。 科学研究は今や、個々の人間の個人的関心によってではなく、産業の発展の中で組織的になされるようになる。 いわゆる科学の制度化である。

19世紀に起こった科学の制度化は、それ自体、多くの側面を持っている。 科学教育の発展や研究所の設立といった、文字通り社会的な制度を整備するだけでは十分でない。 そうした教育やさらなる研究が発展するには、術語体系や単位系が確立される必要があった。 とりわけこの最後の点、単位系の確立に、著者は科学に基づく技術を可能にした契機を認めている。 少し長いが、引用しよう。

人間の熟練によって行われていた作業は、できるだけ単純で、標準化され、規格化されたなるべく少数の要素的な操作や作業に分割される。 そして、それぞれの要素操作を完全に遂行する専門化された装置をつくりあげ、それらを組み合わせて全体の作業を再構成するのである。 これは、近代科学とまったく同様の、模範的な要素論的な方法であることに注意しよう。 科学における要素的実体が普遍的な法則に従うように、技術においても、要素から全体を再構成しうるためには、その要素を精密に、簡単・容易に、しかも普遍的なやり方で操作することができねばならない。 だから、要素は数値化された特性、圧力、流量、電流、温度といった量であらわされ、これらの量をコントロールすることによって工程が操作されるのである。 したがって、量の測定ということは、近代的技術にとって決定的な重要性をもつ。 科学に基礎づけられる近代的技術が可能となったのは、単位系の確立のおかげであったとさえいえよう。(54-55頁)

ただし、何かが測定されるには、それ以前に何が測定されるべきかが決定されていなければならない。 このことは、問題となっている分野ごとに、専門的な概念と用語の体系が確立されていることを要求する。 そしてそうした体系やその運用方法、あるいは測定の仕方を身に付けるには、専門的な訓練が必要となる。 「一言でいえば、科学はディシプリン(仕事を行うためのルール、心得、それを身につけるための訓練、そういう訓練を要する専門分科)となったのである」(56頁)。

こうして「科学はディシプリンとなることによって、逆に、時と所をとわず、だれによっても習得され、利用されうるものとなった」(57頁)。 そして、「このディプリンがいまや科学と非科学を区別する基準となる」(59頁)。 ここに至って、近代科学は17世紀当初に持っていたような宗教的・哲学的価値を喪失した。 このことは結果として、科学を西欧という起源から切り離し、他の地域に移植することを可能にした。 「だから日本は、体系化され合理化された科学を学べばよかったのである」(61頁)。 日本が明治を迎えたのは、西欧で科学の制度化がちょうど一段落したところであった。

以上見てきたように、著者は要素論という西欧近代科学「内側」の性格を、科学と技術が結びつくために、また科学が制度化されるために不可欠な条件として捉えている。 とりわけこのことは、西欧とは文化的背景を大きく異にする日本にとり、科学の移入にあたって決定的に重要な意味を持つことになった。 しかしながら、要素論がその内にそうした契機を含んでいたとしても、それだけでは決して十分ではなかった。 科学の制度化が実際に起こるためには、啓蒙主義や産業革命など、「外側」の条件もまた必要だったのである。

こうした二種類の要因は、一方が他方を規定するという形にはなっていない。 どちらかだけでは今日の科学はありえなかった、著者はおそらくそう主張するであろう。 著者が一方では相対論や量子論の形成といった科学の「内側」を、他方では日本における科学の制度化・体制化という科学の「外側」を同時に研究していたのは、近代科学の本質を要素論と捉えることでこの二つをコインの両面と見なせるという確信のようなものがあったからではないだろうか。 しかしいずれにせよ、1970年という極めて早い時期に著者が「内側」と「外側」を結び付けた歴史を語っていたことはやはり驚くべきことだと言わざるを得ない。 本書が今日でも読む価値を失っていない最大の理由はこの点にあると私は思う。

要素論は超えられるか

近代科学の特質の少なくとも一部が要素論に求められるべきであることは、私も基本的に同意する。 しかしながら、それだけで西欧科学史が語り尽くされるかどうかは疑問の余地があると言わねばならない。

実際、「19世紀の科学思想」「20世紀の科学思想」という二つの論考は、要素論が力学・天文学から始まって化学や生物学の領域に拡大していく様子を描いたものである。 この構図の中にあっては、例えば進化論は単にその「機械論的説明」について述べられるのみであり、進化論それ自体の展開やその思想的意義はまったく述べられていない。 だがこの説明を欠いては、やはり「19世紀の科学思想」は語れないであろう。 またこのことと関連して、少なくともイギリスでは19世紀半ばまで、科学から神は追放されていなかったことも強調しておいてよいと思われる。

こうした歴史観の問題とは別に、要素論を近代科学の本質に据えた科学批判がどこまで有効かという問題がある。

著者は「科学における近代と現代」の結びで、「要素を抽出することによって成立した部分的認識は、その部分において有効であるということ自体によって、逆に全体に対しては無力であらざるをえない」(65頁)と述べ、「要素論の限界」を語っている。 それゆえ我々は、「科学が部分的認識でしかないこと」を自覚した上で、「科学それ自体を、正負いずれにせよ目的価値としたり、科学のディシプリンのみを価値判断の基準とすることは止めねばならない」(同)。

この問題提起そのものは、私としても認めるにやぶさかでない。 だが、著者がこれまでの議論で主張してきたことは、まさにこの要素論とディシプリンとが互いに規定し合って発展してきたということではなかっただろうか。 科学それ自体が価値となったのはこの相互発展の結果であり、それこそが科学の普遍性を現実のものとした。 要素論を打破してディシプリンの維持を志向するにせよ、要素論を保持してディシプリンを開かれたものとするにせよ、それがうまく行くという見通しは、少なくとも著者の語る科学史からは引き出せないように思われる。

もっとも、「問い直される科学の意味」で繰り返し強調されているように、今日の科学は軍事とも密接な関係を持っている。 このことが、それ自体目的であるはずの科学がいつの間にか外部から価値を押しつけているということの(悪い)具体例であるとするなら、ディシプリンと要素論の双方を維持しつつ外部から価値を賦与するのは必ずしも不可能ではないかもしれない。 しかしながら、それが可能であることを示すような歴史を書くことは、依然課題として残されたままである。

2009/1/5 (C)N. Ariga
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