McClellan,Science Reorganized (1985)

James E. McClellan III,
Science Reorganized: Scientific Societies in the Eighteenth Century.
New York: Columbia University Press, 1985.

本書が対象とするのは、18世紀のヨーロッパ各地で設立された科学協会・科学アカデミーである。 科学の制度史上、この世紀が言わばアカデミーの時代だったことはよく知られているが、その実態が具体的に語られることは少ない。 とりわけ特定の組織ではなくこの時代の科学協会・科学アカデミー全般を扱っているということになると他にはおそらく例がなく、本書はこの題材を扱った基本的な研究書の地位を占めている。

科学協会運動

17世紀後半に作られたロンドンのロイヤル・ソサエティ(王立協会)とパリの科学アカデミーをモデルとして、18世紀には多数の科学協会・科学アカデミーがヨーロッパ各地に作られた。 その数は、公的なもの・私的なものを合わせると、最盛期であるフランス革命勃発時には90を超えていたと見られている。 北はノルウェーから南はイタリアのシチリア島まで、東はロシアのペテルブルクから西は太平洋の向こうのアメリカ東部まで、およそヨーロッパ世界の主だった都市では何かしらこの種の組織が作られたと言っても過言ではない。 そしてそれらはやがて互いに結び付き、一つのネットワークを形成していくことになる。 本書の第1章では半ばイントロダクションとして(本来のイントロダクションは別にあるのだが)科学協会の構成や性格についての概観が与えられ、「協会」「アカデミー」「ルネッサンス」という三つの組織類型が述べられている。 しかし以下の章ではこの区分はさほど重要とも思われないので、ここでは科学協会の語でこれらすべてを指すことにする。

第2章ではまず、前史として17世紀における科学協会を扱う。 イタリアにおける「ルネッサンス」タイプの組織(アッカデミア・デル・チメントなど)に触れた後、イギリスにおけるロイヤル・ソサエティの成立とフランスでの科学アカデミーの設立(1660年代)および変革(1690年代)について主に書かれている。 後の議論との関連で言うと、この二つの組織がその初期に公的な関係を持とうと試みたが長続きはしなかったという点を特に記憶しておくべきであろう。

続く第3章では、18世紀前半における「科学協会運動」の概観が与えられる。 ここで「科学協会運動」(scientific society movement)という言葉が意味しているのは、「直接的あるいは間接的にロイヤル・ソサエティとパリ・アカデミーにならった科学協会の相次ぐ設立」(p. 54)である。 具体的には、ベルリン、ペテルブルク、ウプサラとストックホルム、フランスのプロヴァンス、ボローニャ、スコットランド・アイルランド・アメリカの事例がそれぞれ紹介されている。 こうした一連の動きにより、18世紀半ばには、主だった制度的基盤ができあがるに至った。

「科学協会運動」は18世紀後半も続いた。 第4章は、ドイツ語圏を中心とする北ヨーロッパ、イタリア、フランスのプロヴァンス(再訪)、ポルトガル・スペイン・オーストリア、アメリカを初めとする英語圏、の状況をそれぞれ概観する。 前章と併せて、これで18世紀の科学協会カタログが出来上がったことになる。 ただし著者によれば、「科学協会運動」は世紀の中頃に一つの転換点を迎えていた。 その一因は、世紀前半に作られた科学協会がこの時期にほぼ一斉に何らかの変革を行い、安定した組織となったことに求められる。 これら一連の「成功」によって、世紀後半には、流行についていくこと自体が科学協会設立の大きな動機となっていった。 さらに、こうして科学協会の数が増えるにつれ、それらは国際的なネットワークを形成するようになっていく。

科学協会のネットワーク

少なくとも私の見るところ、本書の真価が発揮されているのは科学協会のネットワークを論じた次の二章である。 第5章では、科学協会のあいだの交流について、主として組織の観点から考察がなされている。 これに対して第6章は、18世紀後半に試みられた国際的な研究プロジェクトの概観である。

第5章の前半では、17世紀後半から18世紀末に至る流れが再び、今度は科学協会同士の接触に注目して述べられる。 その皮切りとなったのはペテルブルク・アカデミーの設立(1726)で、このアカデミーは当初から、先行する各地の科学協会とのつながりを作ろうと努めていた。 これ以降、科学協会のあいだで少しずつ接触が図られるようになっていくが、著者はここでも18世紀中頃に転換点を認めている。 すなわち、世紀前半にはこうした国際的なつながりはそれほど強くなかったが、1740年代から50年代にかけて、「状況は完全にひっくり返った」(p. 167)。

状況の変化は、具体的には、各地の科学協会がそれぞれ発行する紀要を交換するようになったという事態に顕著に表れている。 著者はそうした交換の実際を詳しく述べ、それが「『文通』を装って、組織対組織のよりフォーマルなつながりを確立する機会」(p. 173)になっていたという見方を提示する。 さらに、そうした出版物の送付先は各地の図書館や大学にも及んでおり、「科学協会によって確立された配布システムは18世紀における科学の伝達にとって最も重要な手段であった」(p. 174-175)。 なお、このネットワークの中で重要な例外をなしていたのがベルリン・アカデミーであるが、著者はその閉鎖性の源を国王によるアカデミーの統治に求めている。

著者は次いで複数の科学協会に名前を連ねる共通メンバーについて述べ、さらに、各地の科学協会をより上位のレベルで統合しようとする試みがいくつかなされていたことを紹介する。 これらはいずれも科学協会が一つの国際的なシステムを形作っていたことを示しているが、このシステムは決して完全だったわけではない。 特に本書で指摘されているのは「科学における素早く効率的な情報伝達の欠如」(p. 188)である。 著者は1770年代から80年代にかけてなされた三つの試みを取り上げ、それらを科学協会システムが時代の要請に応えられなくなってきたことの証言として提示している。 しかしそれらがいずれも既存のシステムに「アド・ホックな追加」(p. 198)を施そうとするものであったという事実は同時に、そのシステムがいかに当時の科学を支えていたかを如実に示している。

科学協会のネットワークの発展は、共同プロジェクトの歴史からもうかがうことができる。 個別の組織によってなされた最後の大規模プロジェクトとしてパリ・アカデミーによるラップランドとペルーへの観測隊派遣(1735)に触れた後、著者はいくつかの国際的な研究プログラムを取り上げている。 一例を挙げると、1750年にはパリ・アカデミーが音頭を取り、水星の太陽面通過の観測が各地で行われた。 これが1761年の金星の太陽面通過になると、特にどの組織が一手に責任を負うわけでもなしに、各地の科学協会が一斉に観測を行うようになる。 さらに8年後の、再度の金星の太陽面通過の折には、ヨーロッパ全体で150人を超える天文学者が一斉観測に参加し、それぞれの科学協会によって観測隊が地球各地へと派遣された。 その際には、それぞれの科学協会での観測計画が事前に知らされて一種の分業がなされ、観測後にはデータの交換もなされた。

もう一つ、この第6章で興味深かったのは、1780年に設立されたマンハイム気象協会の活動である。 この組織は各地の科学協会に研究協力を依頼し、わざわざ観測器具一式を送ってデータを収集してもらうことを試みた。 その科学上の成果は本書を読む限り不明だが、実際に37箇所でこのプロジェクトに賛同する取り組みがなされ、観測結果がマンハイムに送られてきたというのは印象的である。 そしてまた、このプロジェクトが最初からそうしたネットワークを活用することを前提に企画されているということは、この時代の科学協会システムのリアリティを再び浮かび上がらせるものである。

一つの時代とその終わり

よく知られているように、専門的な知識を持つ科学者という職業が登場してくるのは19世紀のことである。 しかしだからと言って、18世紀をアマチュアの時代と考えることに著者は反対する。 第7章は事実上このことの議論に充てられており、科学協会が「科学者」を定義するための制度的基盤を提供したという見解が述べられている。 実際、少なくとも一部の人々にとって、科学協会(特にアカデミー)は科学研究でキャリアを積んでいくことを可能にする場であった。 しかも、上で見てきたような科学協会のネットワークのおかげで、そのキャリアは真に国際的な性格を持つものだったのである。

また、科学協会に所属することは、職業的規範の遵守を求められることでもあった。 著者がいくつか例を引いているように、不適切な言動をとった会員に対しては制裁が科されたし、そこまで行かなくとも、協会が会員に対して一定のルールを守るよう要請することはしばしばあった。 そして最後に、所属している科学協会の数と質がその人物の地位を決定していたという側面にも著者は注目している。 18世紀当時、科学協会会員の肩書きは、ちょうど今日の学位と同様、その人物の信頼性を保証するものとして機能していたのである。 こうした諸点を考慮すれば、「科学協会が新しい18世紀タイプの科学者の定義にとって中心的なものであったと言っても大丈夫であろう」(p. 250)。

本書はこうして、ヨーロッパの18世紀に固有の社会的・文化的状況を描き出すことに成功している。 どちらかと言えば概観という性格の強い書物ではあるが、本書がただの概観でないのは、各地の科学協会のアーカイヴ史料からネットワークという高次の存在を浮かび上がらせているためである。 この時代、特にその世紀の後半においては、科学協会のネットワークこそが科学の制度的基盤をなしていた。 それは情報と人の交流を通じて一つの総体を形成し、共同プロジェクトを可能にし、18世紀的な意味での「科学者」を定義した。 私の関心から言えば、そうしたシステムが科学の中身それ自体にどう影響したのかが最も気になるところだが、それを本書に要求するのはさすがに欲張り過ぎというものであろう。

1793年、ジャコバン派の体制下で、フランスのアカデミーはすべて閉鎖された。 同じ頃、各地の主だった科学協会も、さまざまな理由から衰退の一途をたどっていた。 18世紀が終わったときには、科学協会の数はピーク時――わずか7年前のことだが――の半分以下となっていた。 そして次の世紀には、より専門分化した学会が次々と設立されていくことになる。 本書の短いエピローグが物語っている通り、一つの時代が終わったのである。

2009/5/6 (C)N. Ariga
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