Nebeker, Calculating the Weather (1995)

Frederik Nebeker,
Calculating the Weather: Meteorology in the 20th Century.
San Diego: Academic Press, 1995.

20世紀の間に、気象学は大きな変貌を遂げた。 それまで並存していた様々なアプローチが一つに統合され、 物理学に基づくコンピュータ・サイエンスとなったのである。 この変化は当然、デジタル・コンピュータの登場とともに急速に起こったのだが、 それ以前から、気象を「計算する」ことは様々な場面で行われていた。 本書は、この「計算する」という営みを軸にして、 気象学が単一の科学へと統一されていった過程を描き出している。

気象学の三つの伝統

「気象観測を記録すること、大気の振る舞いを説明すること、風と雨を予測すること、 これらはすべて、古代からの伝統である」(p. 1)。 このように書き出した後、著者はこの三つの伝統がどのように発展していったかを述べる。 19世紀頃からこれらは明確に分化していったが、20世紀の中頃に至って統一されることになる、 というのが著者の描くストーリーである。

第一の伝統は経験的なもので、19世紀後半に気候学として確立した(ch. 2)。 これは古代から続く気象観測の延長にあるものだが、歴史上重要だったのは、 17世紀に気圧計と温度計が発明されて以来、観測が定量的になったことである。 こうした観測データは19世紀の間に増加していき、 気象学者たちはそこから何かしらの規則性を取り出そうと試みるようになった。 著者はこれを「データ・プッシュ」と名づけ、規則性を発見すべくデータ処理を行うために、 気象学者たちは様々な計算手法へ向かったと主張する。 この時期に用いられた手法には、数値を表、地図、図表などで表したり、 統計的な相関を求めたりすることが含まれていた。

著者の挙げる第二の伝統は理論的なもので、つまり大気の物理学である(ch. 3)。 この伝統は19世紀後半に発展し、20世紀初頭に動気象学(dynamical meteorology)として確立した。 この伝統では、問題は、物理学に基づいた厳密な理論を観測データへと引き付けることであり、 著者はこの試みを「セオリー・プル」と名づけている。 実際には、一般的な理論を特定の場合に適用できるように変形するには、大量の計算が必要とされた。 計算はまた、理論的なモデルを吟味するためにも必要であった。

第三の伝統として、著者は実践的な天気予報を挙げる(ch. 4)。 19世紀における電信の発達は天気図の作成を容易にし、 この結果、天気図に基づいて特定の地点の天気を予測する総観法(synoptic method)が確立された。 天気図を描くためには多くの計算を短時間で行う必要があったため、 面倒な計算を単純化するためにノモグラフ(計算図表)が利用された。 だが、天気予報には個人の経験が重要であったため、科学というよりむしろ技術と見なされることが多く、 その信頼性に疑問が投げかけられることもあった。 「技術ではなく科学を」(science-not-art)という予報官たちの希望は、 気象予測のアルゴリズム化を志向していたと言うことができるだろう。

計算の拡大:20世紀前半の気象学

19世紀の間に確立された三つの伝統は、20世紀前半にさらなる発展を見た。 理論の面で重要だったのは、ノルウェーのビヤークネスとイギリスのリチャードソンである。 前者は十分な観測データに基づく理論的な気象予測が可能であることを主張し、 それを与える一連の方程式と、これを図表によって解く方法とを提案した(ch. 5)。 後者はこの仕事に影響を受け、自身の開発した数値計算法を気象の方程式に適用した。 だがその計算には多大な時間を要した上に、計算結果は実際の値から大きく外れており、 気象学者たちは(ビヤークネスも含めて)数値予報というゴールが遥か遠いものであると確信した(ch. 6)。 このアイディアが息を吹き返すには、デジタル・コンピュータの誕生を待たねばならない。

さしあたって、ビヤークネスを指導者とするベルゲン学派は、総観法を発展させる道を選んだ。 気団、前線といった概念が整備され、天気予報に利用されるようになっていった。 同時に重要だったのは、第一次大戦から戦間期にかけて、気象学が職業として確立したことである。 これは一つには、大戦で様々な新しい要素(車での輸送、毒ガス、飛行機)が登場した結果、 気象の情報が有用だということに軍部が気がついたためである。 戦後にはさらに、航空技術の商業上の重要性が、気象学の制度化を後押しした。 他方、それまで気象の予測と直接関係のなかった動気象学の分野でも、 物理学に基づくと同時に天気予報にも重要な理論がロスビーによって提唱された。 こうした事柄が一緒になって、気象学は学問としての地位を固めていったのである(ch. 7)。

職業としての気象学が確立するとともに、集められる気象データも爆発的に増えていった。 1920年代から30年代にかけてパンチカードシステムが普及したのには、こういう背景がある。 こうしたデータの増大は計算の増大をもたらし、三つの伝統それぞれにおいて、新しい流れが生まれた。 つまり、気象データを分析する人々の間では、気象の統計的研究が本格的になされるようになり、 実地の天気予報では特殊な計算道具(計算尺など)や計算手法がさらなる発達を見せ、 大気の物理学の分野では(主に手計算での)数値実験が試みられるようになったのである。 著者はこうして、第一次大戦後の20年ほどの間に、計算の必要性が増大していったことを示している(ch. 8)。

科学および職業としての気象学の確立と計算の増大という二つの傾向は、 第二次大戦によってさらに強められた(ch. 9)。いまや軍部は気象学の重要性をはっきりと認め、 気象データの収集と気象学者の促成を積極的に行うようになったのである。 こうしてデータがさらに増大した結果、気象の予測が集団で行う活動となっていき、 データ処理のためのパンチカードシステムが様々に改良されていったのは必然的な成り行きであろう。 また、データのさらなる増大、特に上空の気象データが初めて得られるようになったことは、 気象の理論的研究にも大きな影響を与えた。 だがこうした変化にもかかわらず、天気予報の精度そのものは、19世紀末からそれほど進歩していなかった。 そのため、1940年代には、「客観的な」予報のプロセスについて議論がなされることにもなった。

このように、第二次大戦が終わる頃になっても、データと理論はうまくつながらなかったし、 天気予報の向上に寄与することも意外なほど少なかったことがわかる。 だがおそらく(著者は明確には述べていないが)、必要な要素はこの時点でほぼ出揃っていたのだ。 問題はそれらをつなぐことであり、そこに満を持して出現したのがデジタル・コンピュータであった。

コンピュータの出現:1950-60年代の気象学

気象学にコンピュータを使うという試みは、フォン・ノイマンが中心となって プリンストン高等研究所で始まった「気象学プロジェクト」をその嚆矢とする。 1946年に始まったこのプロジェクトは、その二年後にチャーニーが加わって以降目覚しい成果を上げ、 1955年に解散したときには、コンピュータによる短期数値予報の手法が既に確立されていた(ch. 10)。

1950年代から60年代にかけて、コンピュータの普及とともに数値気象学の手法が広まっていく(chs. 11, 12)。 いくつかの国では実際に数値予報が行われ始め、気象学は政府からの支援を受け続けた。 他方、研究の現場では様々な現象の数値モデル化が試みられ始めた。 理論とデータとを仲介するコンピュータ上のモデルは「セオリー・プル」に対する回答であり、 モデルを理解するための数値実験が盛んに行われるようになった。 こうした発展はまた、様々な観測技術の発達や数値解析という数学分野の発展とも密接に結びついていた。 このことは一面ではカオスの発見をもたらし、数値予報の限界を示すことにさえつながった(ch. 13)。

結論

コンピュータは、気象データの処理、理論モデルの構築、数値予報という形で、 気象学の伝統的な三つの分野において使われるようになっていった。 要するに、コンピュータは、data push, theory pull, science-not-art という要請すべてに応えたのである。 それゆえ、必然的な成り行きとして、それまで使われていた様々な計算手法やツールは徐々に顧みられなくなっていった。 それらの多くはおそらく、今日ではプロの気象学者にも知られていないのであろう。

本書の最大の特長は、19世紀から20世紀中頃の気象学における計算の多様性と必要性を明らかにし、 これをバックグラウンドとすることで、なぜ気象学にとってコンピュータ=電子計算機の出現が 決定的に重要だったのかを明らかにしているという点にある。 この観点からすれば、本書の論点は、「気象学では、数値計算(computation)が 他の種類の計算(calculation)に取って代わるようになった」ということに集約されるだろう(p. 5)。 あるいはこう言ってもよい。 19世紀以来、気象は様々な方法で計算されてきたが、数値計算こそが気象学を統一したのだ、と。

2007/8/12 (C)N. Ariga
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