山本『古典力学の形成』(1997)

山本義隆
『古典力学の形成:ニュートンからラグランジュへ』
東京:日本評論社,1997年.

[1987年に現代数学社より出版された本の文庫化(事実上の第二版).]

名称が歴史を反映していないという事例は科学史に数多くあるが、その典型とも言えるのが「ニュートン力学」である。今日「ニュートン力学」と聞けば、大学で物理学を学んだことのある人であれば誰しも、運動方程式を立ててそれを数学的に解くことによって物体の運動を求めるという手続きを思い起こすだろう。そして多くの人は、そういった方法がニュートンによって完成あるいは発明されたと思っているに違いない。ところが実際の歴史を見てみると、このイメージがまったくの誤りであることがわかる。力学理論の発展という観点から見るならば、古典力学はニュートンに引き続く一世紀のあいだに作り上げられたと言えるのである。

本書はこの、ニュートンの『プリンキピア』(1687)からラグランジュの『解析力学』(1788)まで――ほぼちょうど百年――の力学理論の歴史を辿っている。1960年代以降の科学史の研究成果を基にした内容であり、どちらかと言えば独自の研究というより概説に近い一冊だが、著者独自の視点がないというわけではない。すなわち、著者はニュートン以降の百年間における力学理論の歴史を、(1)「『プリンキピア』の幾何学的・総合的な記述と構成の持つ本質的な限界と制約の克服の過程」として、(2)「また同時に、力学をきわめて限られた特別の人間にだけ伝授可能・習得可能な秘伝から、あるレベル以上の能力の持ち主には誰にでも教育可能・使用可能な道具に作り変えてゆく過程」として捉えている。この二点に留意しながら、以下、具体的な内容を見ていくことにしよう。

『プリンキピア』の限界

本書の第1部「Kepler問題」では、『プリンキピア』の主要な話題であった中心力(引力)の下での運動が、ニュートン自身によって、またそれ以後の大陸の数学者たちによって、どのように扱われたのかが主題となっている。ここではまず、『プリンキピア』そのものの紹介と考察に充てられた第1章から第4章までを取り上げよう。

『プリンキピア』の概要や有名な運動の法則の実際について述べた後(第1章)、著者はニュートンによる「順Newton問題」(第2章)と「逆Newton問題」(第3章)の取り扱いを考察する。ここで「順Newton問題」「逆Newton問題」と呼ばれているのはそれぞれ、運動が与えられたときに物体に働いている力を求める問題と、逆に力が与えられたときに物体の運動を求める問題のことである。今日の力学では後者の問題設定の方が普通だが、ニュートン自身は「順問題」から「逆問題」に進むという行き方を採っていた。

『プリンキピア』に関する著者の評価を端的にまとめれば、ニュートンは「順問題」についてはそれなりの成功を収めているが「逆問題」についてはそうではない、ということになるだろう。ニュートンは例えば、物体が楕円軌道を描いて運動しており、楕円の一つの焦点に向かう引力を受けているときに、その引力が距離の二乗に反比例するということは証明できた。しかし逆に、距離の二乗に反比例する引力を受けているときの物体の運動を一般的に定めることはできていない。この最大の理由は、『プリンキピア』の数学が代数的な微分積分ではなく、言わば「極限の幾何学」だったことにある。現代から見れば「逆問題」を解くには微積分の方法が不可欠なのだが、『プリンキピア』はそもそもそういう言語で書かれていないのである。同様の事情は、速度ないし速度の二乗に比例する抵抗媒質中の運動が論じられた場合にもやはり認められる(第4章)。つまりここでも、ニュートンはどこからか解を持って来、それが問題設定を満たしていることを確かめているのだが、それで解が尽きているのかどうかは明らかでないのである。

[……]これらの変数の選択や曲線の措定は試行錯誤の結果かNewtonの閃きという非合理でしか説明づけられない。それは見事といえば見事ではあり、そこにこそNewtonの本領がある。しかし、逆にそのことは『プリンキピア』の大きな欠陥ないし限界でもあった。(67頁)

要するに、幾何学の複雑な定理を駆使して議論を進めていく『プリンキピア』のやり方は、常人には真似できない。「しかし、その限りでNewtonの力学には近代科学としての発展と普及の道は塞がれている」(71頁)。著者はここに『プリンキピア』の限界を見る。この状況を超えていくには、力学を解析的(代数的)に書き直すことが必要であった。

『プリンキピア』を書き直す

第1部の後半ではまず、ライプニッツによる二つの論文(いずれも1689年)が取り上げられる。一つは惑星の運動を論じたもの(第5章)、もう一つは抵抗媒質中での運動を扱ったものである(第6章)。これらの論文は(ライプニッツ自身の主張に反して)『プリンキピア』を読んだ後で書かれたと考えられているものだが、著者がニュートンとの比較で問題にするのはその個々の問題設定や成果ではなく、用いられている数学的方法である。実際、前者の論文について言えば、その成果は『プリンキピア』に及ばないし、得られた結果もニュートンの命題の焼き直しと映る。だがそれでも、これは「力学において微分方程式が公に登場したはじめての文書」(95頁)なのであり、ここで導入された新しい数学によって形式的な議論が可能になったという点に著者は大きな意義を認めている。同様に後者の論文についても、ニュートンとの比較で注目されるのは「速度の1乗に比例した抵抗の場合と2乗に比例した場合とが完全に並行的に扱え、同じように機械的に解くことができる」(111頁)という点である。こうしてライプニッツにより、『プリンキピア』の解析的な書き直しに先鞭がつけられた。

これを受け、『プリンキピア』の「順問題」、すなわち与えられた運動から中心力を求めるという問題を、ライプニッツ流の微積分を用いて最初に論じたのがパリの数学者ヴァリニョンである。第7章では、ヴァリニョンの三つの論文(いずれも1700年)が取り上げられ、その中でどのようにして力の関数形が求められているかが紹介されている。中でも第1部の議論全体にとって重要なのは、ヴァリニョンが対数らせんと双曲らせんという異なる二つの軌道について同じ力の関数系を得ているという事実である。このことは、同じ力に対して異なる種類の軌道曲線が解となる場合があるということを明確に示している。とすれば――ヴァリニョンがどれだけ自覚していたかは不明だが――ニュートンのように具体的に解を一つ構成し、それが条件を満たすことを確認するだけでは明らかに十分ではない。

こうして「逆問題」、すなわち与えられた力から運動を求めるという問題がクローズアップされてくる。第8章では、これを解析的な手法で最初に解いたとされる二人の数学者、ヘルマンとヨハン・ベルヌーイの仕事(いずれも1710年)が紹介される。この問題が「順問題」と比べて遥かに難しいのは積分(いわゆるエネルギー積分)を計算する必要があるからだが、ライプニッツ流の微積分に精通していた二人にはそれが可能であった。結果として、ケプラー問題(距離の二乗に反比例する中心力の下での惑星軌道を求める問題)の解は円錐曲線(二次曲線)であり、それに限られるということが、ついに証明された。『プリンキピア』の書き直しはたぶん、これで一応終了したと言ってよいだろう。

第1部の言わばエピローグは、オイラーとダニエル・ベルヌーイの諸論文の紹介に充てられている(第9章)。前者はケプラー問題の極座標表示を論じ、さらにそれを運動方程式を解くことで導き出した。また後者は、エネルギー積分を明示的に書き表し、その重要性を認めた。それゆえここまで来ると、現代の教科書とほとんど同じような議論が出来上がっているわけである。ただし、この章で挙げられている論文はいずれも1730年代から40年代のものであって、前章までの話からは20年以上が経過している。この空白を無いものと看做してよいかどうかは多少の注意を要するように思う。

力学原理の探求と整備

第2部「力学原理をめぐって」の最初に置かれた第10章は、オイラーによる力学原理の整備を論じている。<力学はニュートンが作った>というような歴史観をまず批判した後で、著者はオイラーの具体的な業績へと移る。特に問題とされるのは運動方程式および慣性原理の確立と運動方程式の第1積分に関わる話題であり、具体的には著書『力学』(1736)、1750年の論文『発見』、未出版の草稿『序説』が題材として取り上げられている。この一連の議論の中では、質点の導入、座標系を用いた運動方程式の定式化、力や慣性といった基本概念の捉え直し、運動の相対性の問題、仕事に相当する概念の導入、といった話題が扱われているが、これらはいずれも(現代の)古典力学の基本的な事柄と言ってよい。著者の見解では、「Eulerが質点にたいする運動方程式を3次元Descartes座標成分に分解し、3成分の微分方程式として表したことによって、力学原理の解析化と理論的整備は一応の結末を迎えたことになる」(189頁)。

ところで、オイラーはこれとほぼ平行して、変分法による力学原理の定式化も進めていた(順番が前後するが、これは第14章で紹介されている)。著者は最小作用の原理と呼ばれる力学原理について、モーペルテュイとオイラーの仕事を紹介しながら議論を進めている。両者の比較という点で言えば、「Eulerのものは[……]概念的にも数学的にもMaupertuisのものより格段に厳密に定式化されていた」(252頁)。これ自体はよくなされる評価であるが、著者はさらにオイラーの一連の仕事に関して、興味深い解釈を提示している。

こうしてEulerは変分原理により、ある意味で静力学と動力学を一つに統合することに成功した。そして同時に、力概念を「力能」すなわちポテンシャルで置き換えることにより、動力学から力概念を追放する土台を作ったのである。(268頁)
※補足コメント:最小作用の原理に関する私の最初の論文『オイラーの変分力学』は、今から振り返ってみると、ここから非常に大きな影響を受けていたと思う。なお、著者が「力能」と訳しているものを、私は「労力」と訳している。

この変分原理に関するオイラーの仕事は、ラグランジュによってさらに推し進められた(第15章)。ラグランジュは変分法の記号法を創出し、これを最小作用の原理に適用して、動力学の様々な問題を論じた(1760年)。著者はこの仕事について、拘束力を考慮しなくてよい(したがって物体系の扱いが容易になる)ことと、座標系の選択が自由である(この結果、問題に適した運動方程式が機械的に得られる)ことの二点を指摘し、ここに「Lagrangeの目指した力学の理想が端的に表されている」(278頁)と述べている。なお、ラグランジュは後に1763年の論文で「力学の基本原理を最小作用の原理からd'Alembertの原理にシフトさせた」(283頁)が、この二点の理想は最終的に『解析力学』まで引き継がれていると見てよいように思われる。

ところで、いま登場してきた「拘束力を考慮しなくてよい」というポイントが、第11章から第13章の主題であると言ってよい。著者によれば、複数の物体が抗力・張力などで結びついている場合(拘束運動)には、「順問題」から「逆問題」へというニュートンのプログラム(運動から力を導き出し、この力から別の運動を考察する)は実行不可能である。しかし18世紀にクローズ・アップされてきたのはこの種の問題であったと著者は言う。あるいは、「力学の主要な問題が天体の運動からふたたび地上物体の機械学へと移行したと言ってもよい」(191頁)。

拘束運動の具体例として、著者は剛体振り子や二重振り子の問題を中心に、ヤーコプ・ベルヌーイ(1703年;第11章)、ダニエル・ベルヌーイ(1733年および34年;第12章)、ダランベール(1743年;第13章)の仕事を紹介している。その詳細は極めて複雑で議論に付いていくのが難しいのだが、総体として確認できるのは、この三者の仕事が拘束運動に対する一般的な解法を与えようとする試みであったということである。とは言え、これらの試みは、いわゆる「ダランベールの原理」の元々の定式化も含めて、成功しているとは言い難い。例えばダランベールの仕事にしても、「その原理が汎用的であるといいながらも実際には問題毎に特別な工夫を必要とし、その当時ではやはりよほどの能力に秀でたものにしか使いこなせない道具でしかなかった」(237頁)と著者は述べている。この意味では、状況はニュートンから大して変わっていない。

ラグランジュの『解析力学』(1788)は、こうした事態を一変させたと言ってよいだろう。本書を締めくくる第16章と第17章では、この本の第1部・静力学と第2部・動力学について解説されている。著者はまず『解析力学』の出版前後の状況とこの本の構成、および版ごとの異動について述べているが、その中でこの本の特徴として、「それまでは概して別個に論じられてきた静力学(statique)と動力学(dynamique)を完全にパラレルに扱い、その意味ではじめて単一の力学(mécanique)を作り上げたこと」(293-4頁)を指摘している(先に見た、最小作用の原理に関するオイラーの仕事に対する評価と比較せよ)。ある意味では、この最後の二章自体、それに沿った構成になっていると言えるだろう。

第16章では、いま述べた概観に続いて、ラグランジュが静力学の基礎とする仮想速度の原理が解説され、拘束系を扱うための数学的手法、いわゆるラグランジュの未定乗数法が紹介される。続いて第17章ではまず、ラグランジュの言う「運動の一般公式」の導出が論じられているが、ここで初版と第二版における導出の仕方の違いを指摘しているのは著者の重要な功績と言うべきであろう。著者の解釈を簡単にまとめておくと、初版の議論が「外力と慣性力の釣り合い」に基づいており、ダランベールの議論をほぼ忠実に辿っているのに対して(316頁)、第二版では「系全体としてみれば拘束力の効果は消滅する」ということが出発点となっており、「以前の理解はすでに相対化されている」と言う(320頁)。なおこれと関連して、著者はこの章の冒頭でそもそも「ダランベールの原理」とは何かという議論をしているが、そこでも『解析力学』初版と第二版では記述に違いがあることが指摘されており、大変興味深い。翻って第17章の残りの部分では、「動力学の基本方程式」からの、様々な力学原理(エネルギー保存則や最小作用の原理)や今日ラグランジュ方程式と呼ばれる式の導出が紹介される。以上が、『解析力学』本体の概要である。

『解析力学』に対する著者の評価は、大きく二つの観点からなされている。まず現代の物理学から見た場合には、四つの点が強調される。すなわち、「質点系(物体系)全体を単一の系ととらえたこと」、基本方程式を一つの関数によって与えることで「数学的現象主義の立場を極限敵にまで推進したこと」、様々な力学原理を「基本方程式から統一的に導き出し、それらが基本方程式の帰結であることを示したこと」、「任意の座標変換にたいして形の変わらない方程式を創り出した」ことである(332-4頁)。しかしながら著者はもう一つ、「その時代、すなわち18世紀後半から19世紀初頭にかけてフランス革命と産業革命を前後する時代におけるLagrange形式の力学の意味」を問い、それは「力学のマニュアル化」であったと主張する(335頁)。これまで見てきたように、ニュートンの幾何学的議論や拘束運動に関するダランベールらの議論は、常人にはとても真似することのできない代物だった。これに対してラグランジュは、「力学を、定型化された処方にのっとればどの問題にたいしても機械的に微分方程式を書き下すことのできる道具に作り直したのである」(336頁)。著者はそこで、次のように結論付ける。

『解析力学』は、一定レベルを越える学生にたいしては、力学を誰にたいしても教育可能・伝授可能・習得可能・使用可能なものとしたのである。これが力学のマニュアル化であり、そしてこれこそがフランス革命に前後する時代の要請に最もよく応えるものであったといえる。(337頁)

あるいはそれは、力学の民主化であったと言ってもよいのかもしれない。「ニュートンからラグランジュへ」という本書の副題は、一義的にはこのような意味で理解すべきであろう。

課題:「ニュートンから」「ラグランジュへ」

本書は、18世紀における力学の発展を述べたものとしては、極めて完成度の高い一冊と言ってよい。とりわけ、単に力学の数学的理論の発展を追っているだけではなく、それを一貫して「マニュアル化」という視点から記述している点は真に評価に値するであろう。この時代の力学について考察しようと思えば、まずこの本を出発点とすべきである。

しかしそれでは、18世紀の力学について語ることは何も残っていないのだろうか。そうではないだろう。問題はおそらく、本書の第1部と第2部の関係にある。上で詳しく見てきたように、第1部はニュートンから始まって『プリンキピア』の書き直しの経緯を辿り、最終的にオイラーによる力学原理の整備へと至っている。これに対して第2部はむしろ、ラグランジュの『解析力学』を念頭に置き、それに先立つものとして、拘束運動の問題や最小作用の原理といった話題が扱われている印象を受ける。問われるべきは、このようにして組み立てられた二つのストーリー、すなわち「ニュートンから」と「ラグランジュへ」がうまく接合しているかどうかである。

著者の論理はおそらく、質点の力学(惑星運動、第1部の対象)が一応の完成を見たところで更なる拡張として質点系の問題(拘束運動、第2部の対象)が浮上してきたというものであろう。だが著者自身認めているように、拘束運動の問題は18世紀初頭のヤーコプ・ベルヌーイによっても論じられており、さらに遡ることも可能である。実際、著者の言う「地上物体の力学」は、少なくともガリレオの時代から続いている問題群と言わねばならないだろう。逆に、惑星運動の問題にしても、決してオイラーで発展が止まったわけではなく、ラグランジュやラプラスによっても、つまりフランス革命前後の時代にも盛んに論じられていた。とすれば、18世紀半ば頃に質点の力学から質点系の力学に重心が移ったという著者の筋書きが本当にその時代状況を述べたものであるかどうかは疑わしいのではないだろうか。むしろ、天上の力学から地上物体の力学への移行は、時代の中で起こったものというよりは、著者の考える力学理論の論理展開の反映であるように私には思われる。それは確かに歴史を描く一つの方法であるが、他の見方も当然可能と言わねばならない。

個人的には、力学理論の内在的な論理展開(質点の力学から質点系への力学へ)という視点を抜きにして歴史の流れを見た場合、『プリンキピア』の書き直しと『解析力学』の形成という二つの物語をうまくつなげるにはどうすればよいか、そもそもそれは可能なのかということに関心を持っている。本書の議論を丹念に追えば追うほど、『プリンキピア』を解析的に書き換えていった結果として『解析力学』が得られたというわけではない、という印象が強くなる。「ニュートンからラグランジュへ」を語るには何か別の要素が必要なのか、それとも「ニュートンから」と「ラグランジュへ」の結合にこだわらない方がかえって一つの流れを浮かび上がらせることになるのだろうか。――いずれにせよ、18世紀の力学について本書と相補うようなストーリーを提示することが私の課題であることは間違いない。

2010/1/17 (C)N. Ariga
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