革命の出版:コペルニクスの地動説

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北へ

1539年、春。二十代半ばの一人の若者が、神聖ローマ帝国南部の街ニュルンベルクを旅立って、北へと向かった。

目的地は、バルト海沿岸の都市、フロムボルク。今日ポーランドに位置するこの街までは、ニュルンベルクからだと直線距離でも800キロ近くある。彼がそれほどの長距離を冒してまで旅に出たのには、理由があった。どうしても、ある人物に会いたかったのだ。

若者の名は、ゲオルク・ヨアヒム・レティクスといった。ヴィッテンベルク大学――この時代には、ルターによる宗教改革の中心地だった――で学位を取った後、そこで数学の講師をしていた人物である。だが、大学で起こったいざこざを避けてニュルンベルクを訪れたことで、彼の運命は変わった。奇妙な噂を耳にしたのだ。なんでも、フロムボルクに住むある学者が、まったく新しい天文学理論を研究しているらしい。それによるとなんと、地球の周りを太陽が回っているのではなく、この確固とした地球の方が太陽の周りを回っているというのだ……。

にわかには信じ難い考えだったが、レティクスは大いに興味を持ち、話を聴いてみようと決心した。これは僕の憶測だが、レティクスがそれほど惹きつけられたのは、彼が占星術に寄せていた強い関心のせいだったのかもしれない。もし、万が一、地球が太陽の周りを回っているのが正しいとしたなら、占星術に与える影響には計り知れないものがあった。なにしろこの時代、占星術と天文学は密接な関わりを持つ学問分野だったのだ。天文学者が同時に占星術師でもあるというのは、決して珍しい話ではなかった。

ニュルンベルクで出会った天文学者のシェーナーと書籍商のペトレイウスも、この若い数学者の旅立ちを後押ししたらしかった。二人は、問題の新しい天文学理論をぜひとも本にして出版したいと考えていたのだ。実際、レティクスはフロムボルクへの手土産として五つの書籍を持って行ったのだけれども、そのうち三つはペトレイウスが出版したものだった。これは印刷見本を兼ねていたのではないかと、科学史の研究者は推測している。

ともかく、レティクスは北へと向かった。僕らは先回りしてポーランドに行き、ついでに時間を数十年遡って、その新しい天文学理論がどのようにして構想されたのかを見ておくことにしたい。

――そう、肝心なことを言い忘れていた。問題の人物は、その名をニコラウス・コペルニクスという。

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2011/9/30 新装版
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