革命の出版:コペルニクスの地動説

コペルニクスの宇宙【前へ】

予期せぬ結末

コペルニクスの親友ギーゼが『天球回転論』を手にしたのは、出版から数ヶ月が経過した7月のことだった。彼にとって、それはとても感慨深い出来事だったに違いない。というのも、実はこのときすでに、コペルニクスはこの世を去っていたのだから……。ところが、ページをめくってみたギーゼは、奇妙なことに気が付いた。「読者へ」と題する前書き部分に、こんなことが書かれていたのだ。

実際、[天文学者の考案する]それらの仮説[つまり地動説]が真であるという必然性はなく、それどころか本当らしいという必然性すらないのであり、むしろ観測に合う計算をもたらすかどうかという一つのことだけで十分なのである。
また誰も、諸仮説に関連することで何か確実なことを天文学に期待しないように。なぜならそれは決してそうしたものを提供できないのだから。

これはコペルニクス自身の言葉ではない、とギーゼは直感した。なるほど、世間一般の天文学者たちにとっては、円を組み合わせた惑星運動の模型が本当に宇宙の構造を表しているかどうかは問題でないかもしれない。重要なのは、それを使って正確な予測ができるかどうかということなのだから。けれども、コペルニクスは違っていた。地動説は計算のための単なる道具なのではなくて、彼は本当に地球が動いていると考えていたのだ。コペルニクスの天文学は、そのテクニカルな部分では古代ギリシア以来の伝統を完璧に保持していて、革命的なようには全然見えない。けれども、それによってこの世界の真理が明らかになると信じていたという点で、コペルニクスはまさしく革命的だったのである。

ギーゼには、この前書きを付け加えたのが誰なのかも察しがついた。レティクスの後を受けて印刷を監督した、神学者オジアンダーに違いない。オジアンダーは、神学者や哲学者から地動説に対する批判が出るのを見越して、言ってみれば先手を打つことにしたのである。けれどもギーゼにしてみれば、それは亡き親友の偉業を台無しにするに等しい。ギーゼはレティクスに手紙を書き、こんなことをしたオジアンダーを、ペトレイウスともども非難した。さらに、問題の前書き部分を削除して出版し直そうともしたらしいのだが、残念ながらそれは実現しなかった。レティクスもまた、この前書きには反感を覚えた。ほかの人に『天球回転論』を贈呈するにあたり、彼はその部分を赤で消したのだった。

しかし、こうした裏事情を知っているのはごく一部の人間だけだった。問題の前書きには署名がなかったから、何も知らない読者が見れば、この部分もコペルニクスが書いたように見えるだろう。そしてその読者は、この本に書かれていることは計算のための虚構なのだと納得してしまうだろう。実際、『天球回転論』の出版後、地動説を便利な計算の道具と見る考え方――それはまた、天文学という分野の伝統的な姿勢の反映なのだが――は、数十年にわたって標準的な見解であり続けたのだった。

コペルニクスの地動説は確かに革命的だった。けれども、それが一夜にして人々の考えを変えたわけではまったくない。地球が本当に動いているという考え方が市民権を得るまでにはさらに半世紀以上の年月が必要で、しかもそのあいだには――いや、それはまた別のお話である。

1543年5月24日、コペルニクスは臨終の床にあった。ギーゼが伝えているところでは、その何日も前からすでに昏睡状態だったらしい。

何の因果か、まさにちょうどこの日、完成した『天球回転論』が著者のもとに届いた。おそらくコペルニクス自身は、その本を目にすることはなかっただろう――問題の前書き部分も含めて。かくして、コペルニクスは後の時代にもたらされるものを見ることなく、出版された本だけを残して七十歳でこの世を去った。余談だが、「革命」revolutionという言葉は、天体が軌道を周回すること、つまり「回転」revolutioを、その語源としている。

(完)

参考文献【次へ】
一番初めに戻る
2011/9/30 新装版
(C)ARIGA Nobumichi