演習(大学院ゼミ)の記録
【論文分析】
相馬尚之「幻想文学と科学入門書の狭間:ハンス・ハインツ・エーヴェルス『蟻』における擬蟻法」『科学史研究』59巻(2020年)、311-326頁。
著者によると、エーヴェルスが著した作品である『蟻』を巡る既存の先行研究は主にヌッサーによる論以外にはないとのことであるが、実際にヌッサーの論がどのようなもので、彼がなした記述におけるどの点にどのような不足を感じているのか明確に記されていないために、著者がなぜ『蟻』を考察対象とするのかという動機にあたる部分が判然としていないことが問題点といえるのではないかという議論になった。特に『蟻』は先行研究の蓄積が乏しい作品であることが論文のなかで明言されていることから、なぜ『科学史研究』という雑誌媒体において現在その作品を取り挙げる必要があるのか、著者なりの回答を論文内で明瞭に言語化する必要があることを再確認した。題材とした論文の目的と研究方法の妥当性を吟味したことで、実際に私自身が論文を書くうえでなにか具体的な作品を取り挙げる際に、どれほどその作品の選定理由を論文の目的に照らして説得力に記述できているか不断に意識するように努めたいと改めて考えた。
題材とした論文において残されている前述した課題を整理した後に、『蟻』を取り挙げることの有効性が発揮される問いとはどのようなものであるか、自分たちが『蟻』を題材とする場合にはどのような問いを立てるか議論した。具体的には、『蟻』が執筆された1925年頃のドイツにおける専門科学のあり方がどのように当時の一般大衆と関係しているか述べられている具体的な文献を参照したうえで、『蟻』を考察するとどのようなことを把握することができるか示すことや、科学と文化の関係を広く考えるうえで『蟻』を検討することでどのようなことを把握することができるか示すこと、「一元論的世界観」を提唱したヘッケルの先行研究を踏まえたうえで『蟻』を取り挙げることの正当性や有用性を示すこと、などといった複数の問いと『蟻』を取り挙げ得る例があることを確認した。
加えて、著者の記述を批判的に吟味する際に、『蟻』のなかで擬蟻法が用いられた、「処女懐胎?」・「蟻のように勤勉なエーミールと鶏化したパウラについて」(以下、「エーミールとパウラ」)・「哀れなフレディ」という3つの短編小説のなかで、なぜ著者が論のなかで「エーミールとパウラ」には焦点を当てておらず、「エーミールとパウラ」を考察対象から除外しているのかという疑問点に着目した。論のなかで、こうした著者の判断に関する理由説明がなされるのは2節以降であり、目的や研究手法が記されたそれ以前の箇所においては言及されていないため、こうした疑問点の背景にある著者自身の考えが読者には不明瞭に映ってしまうという不足があることを確認した。【Y】
【書評紹介1】
【研究発表】
「19世紀の化学者にとっての「物理(学)的なもの」」
今回の発表では、カールスルーエ化学者国際会議における化学者カニッツァーロの議論を取り上げ、彼の主張内容が、参加者のケクレによって「物理学的」と形容されているという点について紹介しました。発表はまだ構想段階のもので、カニッツァーロの主張がどのように物理学的であるのか、他方でケクレのいう「化学的な考察」とはいったい何なのか、などの点については引き続き検討したいと思います。質疑ではカニッツァーロの化学史上の位置づけや社会的な背景、19世紀の物理学など多岐にわたる質問・コメントを頂きました。そして私も勉強不足の点が多く、他のゼミ参加者の方々から学ばせて頂きました。ありがとうございました。【澤井】