2024年12月9日

演習(大学院ゼミ)の記録

【論文分析】

相馬尚之「幻想文学と科学入門書の狭間:ハンス・ハインツ・エーヴェルス『蟻』における擬蟻法」『科学史研究』59巻(2020年)、311-326頁。

著者によると、エーヴェルスが著した作品である『蟻』を巡る既存の先行研究は主にヌッサーによる論以外にはないとのことであるが、実際にヌッサーの論がどのようなもので、彼がなした記述におけるどの点にどのような不足を感じているのか明確に記されていないために、著者がなぜ『蟻』を考察対象とするのかという動機にあたる部分が判然としていないことが問題点といえるのではないかという議論になった。特に『蟻』は先行研究の蓄積が乏しい作品であることが論文のなかで明言されていることから、なぜ『科学史研究』という雑誌媒体において現在その作品を取り挙げる必要があるのか、著者なりの回答を論文内で明瞭に言語化する必要があることを再確認した。題材とした論文の目的と研究方法の妥当性を吟味したことで、実際に私自身が論文を書くうえでなにか具体的な作品を取り挙げる際に、どれほどその作品の選定理由を論文の目的に照らして説得力に記述できているか不断に意識するように努めたいと改めて考えた。

題材とした論文において残されている前述した課題を整理した後に、『蟻』を取り挙げることの有効性が発揮される問いとはどのようなものであるか、自分たちが『蟻』を題材とする場合にはどのような問いを立てるか議論した。具体的には、『蟻』が執筆された1925年頃のドイツにおける専門科学のあり方がどのように当時の一般大衆と関係しているか述べられている具体的な文献を参照したうえで、『蟻』を考察するとどのようなことを把握することができるか示すことや、科学と文化の関係を広く考えるうえで『蟻』を検討することでどのようなことを把握することができるか示すこと、「一元論的世界観」を提唱したヘッケルの先行研究を踏まえたうえで『蟻』を取り挙げることの正当性や有用性を示すこと、などといった複数の問いと『蟻』を取り挙げ得る例があることを確認した。

加えて、著者の記述を批判的に吟味する際に、『蟻』のなかで擬蟻法が用いられた、「処女懐胎?」・「蟻のように勤勉なエーミールと鶏化したパウラについて」(以下、「エーミールとパウラ」)・「哀れなフレディ」という3つの短編小説のなかで、なぜ著者が論のなかで「エーミールとパウラ」には焦点を当てておらず、「エーミールとパウラ」を考察対象から除外しているのかという疑問点に着目した。論のなかで、こうした著者の判断に関する理由説明がなされるのは2節以降であり、目的や研究手法が記されたそれ以前の箇所においては言及されていないため、こうした疑問点の背景にある著者自身の考えが読者には不明瞭に映ってしまうという不足があることを確認した。【Y】

【書評紹介1】

Alain Corbin, A History of the Wind, trans. William Peniston. Hoboken, NJ: Polity Press, 2023.

Review by Sarah Carson, Isis 115 (2024): 654655.

感性の歴史を専門とするアラン・コルバンが執筆した、“A History of the Wind”の英訳書の書評を取り上げました。評者は近代南アジアの気象知識の歴史を専門とするサラ・カーソンです。和訳書については、綾部麻美訳『疾風とそよ風――風の感じ方と思い描き方の歴史』という題目で出版されています。本書の内容は風それ自体の歴史ではなく、西欧では、人は風をいかに経験し、理解したのかを風のイメージ解釈を中心とする文化史的側面から記述されています。不変性という特徴をもつと考えられる風は、18-19世紀の科学的認識の深まりや世界中への探検による影響が大きく、同時に西欧の帝国主義の役割が示唆されています。原書はフランス語で執筆されおり、英訳書でもフランス語テクストの特性があると評しています。【松山】

【書評紹介2】

Eric I. Karchmer, Prescriptions for Virtuosity: The Postcolonial Struggle of Chinese Medicine. New York: Fordham University Press, 2022.

Review by Jia-Chen Fu, Isis 115 (2024): 687-689.

自分が医学史に興味があり、多くの文献を講読している中で何度も名前を目にしたことのある”Prescriptions for Virtuosity: The Postcolonial Struggle of Chinese Medicine”という文献を取り扱いました。現代の中国医学が「宗主国による植民地化から『脱した姿』」ではなく「宗主国による植民地化の『影響を受けた姿』」という言説を取り上げており、中国医学の独特な手法である弁証論治を始めとした問診の形態が、植民地化される前後で宗主国の文化を「取り入れる」形で進歩しているという言説が興味深かったです。また、現代中国医学があくまで「ポストコロニアルなもの」であり、「脱植民地化したもの」としていることを指摘する評者のコメントも興味深く、もう少し深く掘り下げたかったです。【工藤】

【研究発表】

「19世紀の化学者にとっての「物理(学)的なもの」」

今回の発表では、カールスルーエ化学者国際会議における化学者カニッツァーロの議論を取り上げ、彼の主張内容が、参加者のケクレによって「物理学的」と形容されているという点について紹介しました。発表はまだ構想段階のもので、カニッツァーロの主張がどのように物理学的であるのか、他方でケクレのいう「化学的な考察」とはいったい何なのか、などの点については引き続き検討したいと思います。質疑ではカニッツァーロの化学史上の位置づけや社会的な背景、19世紀の物理学など多岐にわたる質問・コメントを頂きました。そして私も勉強不足の点が多く、他のゼミ参加者の方々から学ばせて頂きました。ありがとうございました。【澤井】